小さな至福のとき

小江戸のイメージが強い川越だが、毎日のウォーキングルートはそのイメージとはかけ離れ、まるで北海道のような光景が広がる。川越市はかなり広い市だ。100平方キロメートルを少し超えてパリ市とほぼ同じ広さ。その為に様々な顔がある。こちらに来るまではそんなイメージは全く無かった。千葉の市川市から移り住んで7年。自宅近辺の光景にはいつも癒されてお気に入りの光景ばかりだ。

6月から再開したウーキング。ルートが色々あって毎日の楽しみ。片道直線2.5kmの上江橋を往復するルート、鳥の撮影でいつもアマチュアカメラマンたちで賑わっている伊佐沼を回るルート、入間大橋付近までの河川敷上の景色を見下ろす堤防ルート、などなど、どれもカントリーな美しい光景が広がっている。そこをちょくちょくQをタスキかけにして歩く。その時はウォーキングのペースはがた落ちになるが、美しい光景にしばし立ち止まり、シャッターを押す。誰の為でもなく自分が美しいと感じる光景に出会う瞬間。小さな至福のときだ。

LEICA Q

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公にすること

俳優の砂川啓介さんが無くなった。声優の大山のぶ代さんの夫で認知症になった大山さんを献身的に介護していたことで知られていた。「君より先に死ねない」と奥様のことを気遣っての最後だったようだ。介護というものは経験した者にしか理解できない世界だ。砂川さんは当初は一人で全てを背負って介護をしていた。人に知られたくない、というのは介護者の自然な感情だ。しかし、これほど辛いことは無い。ひとりで全てを背負って生きていくことは長くは続かない。

砂川さんもとうとう堪えきれなくなった時に世間に公表した。公表して逆に楽になったと。辛いことを他人様に公にすること。なぜ楽に?と思うが良い意味での覚悟と周りの理解という空気が自分を救ってくれる。私も30歳から50歳まで20年間、母親を一人で介護し続けた。介護のために様々なことを諦めざるを得なかった。最後は会社も辞めた。フリーランスになったのはその為だ。フリーランスになってもしばらく介護のことは隠してきた。

だが、ある時、ブログで公表した。それから楽になった。それまでの自分はある意味格好を付けて無理をしていた。公表することは楽になる。これは本当のことだ。砂川さんも無念という気持ちとこれで楽になったという気持ちと後は奥様を待つという気持ちと様々な思いを持って旅立ったと思う。

このカットは自分が公にした時にブログで挙げたカットの別カット。今も施設暮らしの母親がまだ若い。

LEICA M8.2 / NOCTILUX-M 50mm f1.0

LEICA M8.2 / NOCTILUX-M 50mm f1.0

鈍感力

ブログを再開してしばらくすると気になりだすことがある。ブログの内容を読み直して自己嫌悪に陥ったり、アクセスが増えてくると訪問者が気になり始めること。以前のブログでも何度も経験したことだが、またこの感覚が蘇ってくる。どちらかと言うと人間関係に繊細すぎるところがあっていい歳をしてまだまだ未熟者である。人様のことを全く気にしない人はいないと思うし、悪いことではないがストレスになっては身もフタもない。

使い古された言葉だが今の時代だからこそ「鈍感力」はやはり大切かと。特に昨今のSNSやウェブニュースに一喜一憂することの危うさと空しさ、人は人、自分は自分、という信念は揺るぎがちだが守っていかなければならないと思う。自分が思うことを気兼ねすることなく綴ること。今の自分の等身大を書き残していくこと。本来は日々の日記代わりと考えていた。そんなことでブログ再開当初のこの思いに立ち返ってお気楽に行こうかと改めて感じた次第。

LEICA Q

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夏の空気

朝から歯医者に行って治療を終え、ご近所のららぽーとへ寄る。平日だが、ららぽーとはいつ行っても賑わっている。時間つぶしの予定だったが空の雲行きが怪しくなってきたので早々に帰宅。帰宅しても午前10時からのマンションの断水が午後5時までなのでまだしばらくは不便なことこの上ない。今回は前もって水を溜めておくことを忘れてしまった為に難儀なことになった。

水が出ない、という生活はやはり相当大変だ。何をするのも水道が使えないことの不便さを短い時間ながら再確認した。相方殿はここぞとばかり災害用のトイレを試してみるという、女性はなかなか逞しい。それはそうとこの時期、川越近辺は雷が多い。しかも5階の自宅ベランダからどの辺りに落ちたかはっきりと視認できる。雷と突然の豪雨。いつからこれが盛夏の前の兆しになったのか?でもこれを過ぎないと日本の夏は来ない。いよいよ夏の空気を感じる。

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