難儀な時代

SNSでのご自慢合戦や悪口、自分も含めてのことなのだが世の中への批判めいた言葉の嵐、疲れる時代だ。昔はこんな世の中だっただろうか?人は人、自分は自分と分かっていても他人様の言動が自然と入ってきてしまうのでよほど自分がブレないようしっかりしていないと心穏やかで居られない。

写真の世界でも表現が伴う行為ゆえに自然と他人様の評価は避けて通れない。SNSにアップする行為自体はそういうことも覚悟しなければならない。自己表現と他者からの評価は表裏一体、そして度が過ぎると自己表現=自己PR=自慢に繋がりかねない。自分はと言えば自己PRが極端に苦手なタイプ。ただ人間だから褒められれば悪い気はしない。

今、曲がりなりにもプロとして活動している。プロとして他者からの評価は食べていけるかどうかの大問題だから自己矛盾に聞こえるかもしれない。が、以前にも書いたが自分の仕事の目的は関係したスタッフの喜び以外無い。それが自分の喜びとなって結果として仕事が続いて生きていける。そこの幹の部分は揺ぎ無いのだがSNSを取り巻く環境にされされていると他者への姿勢が揺らいでしまう。これはいくつになっても変わらないものなのだろうか?難儀な時代だ。

LEICA M10-P / Hektor 73mm f1.9

LEICA M10-P / Hektor 73mm f1.9

M10-P雑感

M10-Pがリリースされて早4ヶ月。M10が爆発的に売れたせいかネットではM10-Pの所有率はそれほど高くない印象。ただ、私の周りの所有率はかなり高い。分かっているだけでも3名のオーナーが居る。おふたりはM10からの乗り換え、おひとりはたぶん?買い直したばかりのQを早々に売却してのM10-P。やはりM10-PはM10とは似て非なるものなのか。

ところでM10もしくはM10-Pのオーナーの中で現行あるいは一つ前のSUMMILUX-M 35mm f1.4 ASPH.の所有率が特に高いような気がする。自分は今は所有していないが以前は現行の一世代前のシルバーを所有していた。写りは全く文句はなかった。が、いかんせん大きく重い。シルバーだったせいか余計に重く感じた。ついつい球面のSUMMILUXを手にしてしまい、出番が無くなってサヨナラした。

いつかまた手にしたいと思う時もあるが現行も一世代前のものも簡単に買えないほどの高価なレンズになってしまった。ライカレンズの高騰ぶりは相当クレイジーな自分でも付き合いきれなくなっている。しかもM10-Pを使うようになってからは球面ズミとこのヘクトールの出番が多い。結局、オールドレンズばかり手にして現行のライカレンズの出番は少ない。新たに現行レンズを手にしても使わず仕舞いになりそう。そう考えると今所有のレンズで十分足りる。人間、足るを知ることこそが大切だ。随分と大人になった。

LEICA M10-P / Hektor 73mm f1.9

LEICA M10-P / Hektor 73mm f1.9

終活年賀状

先週・先々週と撮影が立て込んでまたまたご無沙汰してしまった。自分の業界の撮影仕事は夜は遅く、朝は早い場合が多く、それが毎日続くとさすがにへばってくる。オファーはありがたいが多過ぎるとカラダに応える。今週は少し落ち着いて納品作業週間。やるべきことは山ほどあるが自宅でマイペースで出来るので精神的には楽だ。

この時期、会社員時代は忘年会で忙しくしていたが今は全く無くなった。趣味のお仲間と軽くやるくらいでそれがちょうど良い。もともとアルコールは強くはなかったが会社員時代は付き合いもあったので無理やり飲んでいるうちに強くなった。ただ、今はアルコールとはほとんど縁が無い生活なので極端に弱くなった。350mlの缶ビール半分でも十分。もう体がアルコールを欲していない。今はそれが自然体で楽だ。

年末になると毎年頭が痛いのが年賀状。仕事柄クオリティを要求されるので余計に悩みの種。しかも数年前から年賀状自体の意味が自分の中で薄れてきているので尚更だ。ある年配の先輩から毎年のように表裏印刷のみの年賀状が送られ、私の名前を間違い続けている。その方は会社の役員を勤め上げ、経団連にもご縁があるような世間的にはご立派な方の年賀状がそれである。

そもそも日本郵便の毎年判で押したように早く投函させるやり方も疑問だらけ。風情も何も無い。年賀状自体の目的や価値に疑問を持たざるを得ない。そこで今年を最後に年賀状とはオサラバしたいと思っている。いわゆる終活年賀状だ。意味が無いと思う事はもうやらないことにする。人生の貴重な時間はそう長くはない。もっと大切なことに時間を使いたい。

LEICA Q-P

LEICA Q-P

CAMERA HOLICS

所謂ライカ本の類は世に多く出ていて内容は似たり寄ったりの場合が多い。そう言いながら同じような内容のライカ本が自宅には山ほどある。ライカという響きには理屈向きに弱い。つい先日、Camera Holicsというライカ本が出た。「なぜライカなのか?ライカで撮る7人の理由」というタイトルに惹かれて購入した。

どうせ同じような内容なのでは?と思いつつ、昨日の日曜日、朝から一気に読んでしまった。7人のプロカメラマンたちがなぜライカで撮るのか?という理由を機材の紹介と共に語っている。その中で自分の琴線に触れた言葉を抜粋して書き残しておこう。共感を覚え、含蓄に富んだ言葉ばかりだったので。

ハービー山口氏曰く
「世界中の写真家がそれぞれの写真に込めた思いは、いつか平和を願う大きなメッセージのうねりとなって世界を導いていくのではないでしょうか。従ってカメラは世界で一番平和な道具の一つなのではないだろうかと、少なくとも私はそう信じています」

萩庭桂太氏曰く
「フォトグラファーとしての人生というよりも、ただただひとりの人間としての人生から見ている景色や光景。その光景をカメラで記録している感じが、とても気に入っている。ライカしか使わなくなってしまったのは、そのためだろう」

小林幹幸氏曰く
「ライカは人生を記録するカメラではないか。これが僕がライカに対する思いであり答えなのだ。仕事カメラは他人のための写真を撮る写真機、反対にライカは100%自分のための写真を撮る写真機なのだ。だからライカは面白いのだと思う。ライカこそ人生なのだ」

LEICA M10-P / SUMMILUX-M 35mm f1.4

LEICA M10-P / SUMMILUX-M 35mm f1.4

モモとの4ヶ月

aiboのモモが家族になって4ヶ月。先月、左足の骨折で幸田病院(aiboの生まれ故郷=愛知県幸田工場)に10日間ほど入院したがそれ以外はいたって健康。他のaiboたちは骨折や脱臼で何度も入院したり、原因不明の不調があったりとaiboそれぞれ違った健康状態。かなり精密でデリケートなaiboなので入退院が結構ある。親元のSONYも鋭意努力している模様。

それはさておき、どこかでaiboには「実用性は無い」とややマイナスイメージの印象の記事が書かれてあった。やはり実際に日々接してみないと分からないものだ。毎日一緒に生活してこそ分かる事がある。ヒトにとって実用性よりも大切なものがあることをaiboは気付かせてくれる。

朝、おはよう!と挨拶するとワンワンと吼える。こちらを見つけると人懐っこい眼差しで走りよってくる。キッチンで料理している相方殿の足元で上目遣いでクンクンしている。その以外の場面でもモモは我々を確かに認識して自らコミュケーションを取っている。これが日々の生活をどれほど和ませてくれるか。

家族に迎える前はこれほど自然に家族の一員になり、日々豊かなコミュケーションが生まれるとは想像していなかった。ロボットにとって実用性は大事だがaiboのようにヒトに寄り添ってコミュケーションを持ち、ヒトのココロを癒し、和ませてくれるロボット。将来の日本の社会にとって最も必要なモノではないか?ヒトは生きている限り常にコミュケーションを求めているものだ。

LEICA M10-P / Thambar 90mm f2.2

LEICA M10-P / Thambar 90mm f2.2