最近、友人が現行レンズ前のNOCTILUXを使い始めた。NOCTILUXというとf1.0という人間の目に近い明るさを持つレンズとして有名。今更感はあるがやはりライカ使いとしては一度は体験したいレンズだ。気持ちはよく分かる。自分も昨年売却するまで10年ほど使用してきた。常時使用できるようなレンズではないが唯一無二のレンズであることは間違いない。だが扱いはなかなかにデリケートだ。
このレンズを手にしたらf1.0を使わなければ全く意味が無い。f4やf5.6などの写りが秀逸と語る御仁なども居るがそれでは意味が無い。ただ、そこがノクチの落とし穴、f1.0のボケばかり追うようになり、まともな写真にならなくなる。よほど狙いをしっかり持たないとノクチの罠にはまる。それでも使い手の高揚感は半端ない。ゆえに数多あるライカレンズの中でも魅惑的なレンズナンバーワンだ。それ故にみな憧れるのかもしれない。その友人はなかなかの使い手なので名作を期待したい。
ところで、自分が手放した理由はSUMMILUX-M 50mm f1.4 ASPH.Black Chromeの存在だ。同じ50mmで明るさはわずか0.4の違いだがその性格は全くの別物。新旧の違いはあるがSUMMILUXの方が圧倒的に使いやすく写りも優れている。初代デザインをモチーフにブラッククローム仕上げのスタイルもプラスアルファの魅力でこれ一本あればノクチは必要ないと思わせてくれた。ひと言で言えば「NOCTILUXはSUMMILUXがいかに優秀で稀有の存在かを再認識させられるレンズ」と言える。自分にとってNOCTILUXはSUMMILUXの為の試金石となったレンズだ。
ライカレンズは本当に奥深い。こういった経験を経てこないと個々のライカレンズのさらに奥の真価は見えてこない。しかもその道程は螺旋階段のごとく、オールド、モダン、オールド、モダンとグルグル回って深みにはまる。もちろん経験せずとも個々の魅力は十分享受できるがユーザーそれぞれが深度の違う魅力を感じられるのが「沼」と言われる由縁かもしれない。