デジタルデータの儚さ

先日、灯台のウェブサイトを作成した折、すべてポジフィルムからのスキャンデータで作成したが、実はデジタルカメラの時代に変わった後にも3か所の灯台を訪れていた。20年近く前なのでどのカメラで撮影したか記憶が薄れていて定かではないがおそらくEOS-D60かEOS-10Dだったと思う。そのデジタルデータがいくら探しても見つからない。

デジタルカメラのオリジナルデータは当時から外付けHDDに保存・整理していたがその外付けHDD自体が見つからない。今まで仕事で使ってきたHDDは少なくとも30台近く。そのうち15台くらいは手元にあって直近10年間くらいのデータはすぐにアクセスできるがその前10年分くらいがどこにあるか全く分からない。市川市から現在の川越市に移った時にどこかへ紛失してしまったのか?それすら記憶にない。

仕事のデータは10年以上前のオリジナルデータが必要になるケースはほぼない。だが今回のようなプライベートのデータが無くなってしまったのには参った。訪れた3か所の灯台は北海道の石狩灯台、日和山灯台、そして和歌山県の潮岬灯台。今となってはどれも思い立ったらすぐに行ける場所ではなく残念でならない。撮影仕事の帰りに訪れた為にその時の仕事のデータと一緒に無くなってしまったようだ。

こういうことになるとデジタルデータは儚い。フィルムは20年以上前のものでもフィルム自体が物理的に残ってさえいればデジタルデータ化すれば蘇る。今回は自分に非があるのだが諦めきれずに探した結果、10年以上前に灯台のホームページを作成しようとした折、そのサイトデータ内にリサイズされたデータが一部残っていた。残念ながらあまりにも小さいサイズなのでウェブページでの公開には絶えないがこのブログ程度ならばと備忘録的にここでアップしておきたい。

灯台は撮影に行くこと自体がなかなか大変な被写体でしかも天候や時間帯によって良い表情が撮れるかどうかは運次第のところがある。ゆえに良いカットが撮れるとそれはそれは大切なカットになる。なぜそんな大切なカットを紛失してしまったのか??ということだが本人が一番ショックを受けて情けない気持ちなのだ。この中には納得のカットも数点あるのに何とも複雑で悲しい気持ちなる。

PORTRAIT OF JAPANESE LIGHTHOUSE 1992-1998

新型コロナ禍のステイホームを有効利用して念願だった灯台アーカイブのデジタルデータ化のスキャンニングがようやく完了した。4月の末からスキャンを始めて約一か月、ポジフィルムとの格闘が終わった。スキャンはニコンのフィルムデジタイザーES-2を使った。

レンズは新たにAF-S Micro NIKKOR 60mm f2.8G EDを購入。ボディはα7R3なのでソニーEとニコン用マウントアダプターを入手した。使用感だが35mmフィルムの場合はもうフラットベッドのスキャナーの時代ではないと感じた。なんと言っても4200万画素!で手軽に取り込めることは凄いの一言。

スライドマウント用とスリーブ用のホルダーが付属しているがスライドマウント用の差込口がゲペのマウントが厚みがあり過ぎてすんなり入らず少々手こずったが力技でなんとかスキャンできるようになった。スキャンデータはRAWで取り込み、Capture Oneで現像、Photoshopで仕上げた。

当時のフイルムは全てフジのRVP(ベルビア)だったが彩度の高さには改めて驚いた。当時はこんな色で撮っていたのかと少し手を加えようか迷ったが変に色合いを変えてしまうと当時の空気感が損なわれるのでそのまま忠実に再現することにした。

効率よくスキャンが終わったので続いてウェブサイトまで作ることにした。自分の本サイトはSquarespaceというアメリカの有料ウェブサービスを利用している。全て英語なのでハードルは高いがデザイン性は日本のサービスより優れていると感じる。今回もSquarespaceを利用した。

今回の灯台のサイトは過去の作品のアーカイブになるがポジフィルムのまま放置していてもしも自分が居なくなったらという思いが常に頭にあり、アマチュア時代の拙い作品だが7年間の情熱の記録をお蔵入りさせるのはあまりにも惜しい気持ちでまとめてみた。ご興味のある方はご笑覧あれ。

PORTRAIT OF JAPANESE LIGHTHOUSE 1992-1998

デビュー作

1999年秋、自分がまだ会社員だった頃、勤務中に会社の代表部門から一本の電話が回ってきた。「深作組」と名乗る方からの電話とのこと。自分の居た会社は制作部門の協力会社に似たような社名のプロダクションも少なくなかったので何かの制作会社かな?と思い電話に出た。

電話に出ると「深作組の助監督の〇〇ですが板村様ですか?今回板村様の撮影された野島埼灯台の写真を深作監督の次回作で使用したいと考えていますが宜しいでしょうか?」と。あまりにも唐突でいきなりのことだったのでどう反応してよいか分からず、すぐには返事が出来ずいると「具体的な事はまだ未定ですが板村様の写真を監督がいたく気に入り、ぜひ使用させて頂きたいということです」

仕事中にも関わらず思わず声をあげてしまった。その後、改めて尋ねてみるとその1年前にオープンした野島埼灯台の資料室にたまたま自分の撮った写真がディスプレイされていてそれを関係者が見てそれが深作監督の目に留まったらしい。まだプロになる前のアマチュアゆえそんな依頼は生まれて初めてのことだったので何も考られずにぜひ使って欲しい旨を伝えた。

数日後、その助監督が作品の台本らしきものを携えて訪れ、その作品があの「バトル・ロワイヤル」だったことを知った。その時はどんな内容になるかなど分かるはずもなく、ただ、自分の写真をどんな場面で使われるのか確認したところ、可能性としてもしかしたら写真自体に加工させて頂き、一部動かすかもしれない。と。ん?動かす?写真を動かす?当時はCGなどまだ一般的ではなかったので想像すら出来ず、曖昧なまま承諾したことを記憶している。

作品は翌年に公開され、社会的にはかなりのインパクトのある作品となり、国会議員を巻き込んでの問題作となった。自分はと言えば頂いたチケットで早速鑑賞に行き、映画館の大スクリーンに映し出されて何やら動いている自分の写真を観て驚いたことを記憶している。社会的な問題作がデビュー作となったことは複雑だったがエンドロールに自分の名前を発見したときは正直嬉しい気持ちだった。

灯台の作品は会社員の傍ら1992年から1998年頃にかけて全国を撮り歩いたもので全てリバーサルフィルムでアーカイブされている。その辺りのことは以前書いた。現在は積年の課題だったデジタル化の為のスキャンを行っている最中だが、奇しくも今週末「バトル・ロワイヤル」がWOWOWで放映される。WOWOWを視聴できる方が居れば一瞬だがこの写真が動くシーンとエンドロールに注目して頂けたらありがたい。笑

CANON EOS-1 / EF 80-200mm F2.8L / RVP

CANON EOS-1 / EF 80-200mm F2.8L / RVP

灯台めぐり

今年の1月にふと思い立って犬吠埼灯台を訪れた。
30年ほど前に国内の灯台、それも明治時代に建てられた歴史的意義のある灯台を追って日本中を駆け回った時期があった。それらはすべてリバーサルフィルムで残っている。いずれこのサイトでまとめて発表したいと考えているが遅々として進まない。フイルムからすべてスキャンしてデジタルデータに変換しなければならないのだがそのハードルが意外と高い。

当時はまだ会社勤めのアマチュアで機材も今ほど充実していたわけではなく、そんな中でも休日を中心に朝な夕なにリバーサルをたくさん抱えて駆け回っていた。あの頃の情熱は懐かしくもあり、どこからそんなエネルギーが沸いていたのか今思うと不思議なくらいだ。ただ、相変わらず灯台は気になる存在で今のデジタル機材で改めて撮り直したいとも思うがなかなか間々ならない。

その頃の夢はカナダ・プリンスエドワード島の赤と白の美しい灯台たちに会いにゆくことだったが、当時は船で渡らなければならなかった島も立派な橋が架かり、今では有名な観光地となって賑わっている。自分の夢もそろそろ実現しなければこちらの時間がなくなる年齢になってきた。寒い1月に久しぶりに訪れた犬吠埼灯台は昔と変わらない勇姿で迎えてくれた。もしかしたら呼ばれたのかもしれない。

ちなみにこの犬吠埼灯台に隣接する展示資料室の建設計画にも関わっていて2階のギャラリーには当時、私が提供した作品が色褪せずにまだ展示されていたのには驚いた。

LEICA M-P / SUPER-ELMAR-M 21mm f3.4 ASPH.

LEICA M-P / SUPER-ELMAR-M 21mm f3.4 ASPH.