平和の礎

先週の10・11日、仕事で沖縄を訪れた。25年ぶりの沖縄だ。当時はまだ会社勤めで太平洋戦争に関する資料館のコンペの為、ここの資料館や周辺地域の視察が目的だった。当時は今ほど整備されておらず、荒地の中に古い資料館がポツンと建っていただけだった。

資料館は生々しい展示品や漂う空気感に何か重いものを感じ、そこに長く居ることが少々辛くなるような場所だった。最寄のひめゆりの塔と隣接する資料館を訪れ、ただそれだけで帰京した。ゆえに沖縄の記憶はこの摩文仁の記憶だけだった。今回は沖縄市や名護市も訪れ、いわゆる沖縄らしい空気を初めて感じたわけだが、ただ、ここだけはもう一度訪れたかった理由があった。

それは「平和の礎」。資料館のコンペが終わった後、この地に新たに沖縄戦で亡くなった方々で人種や国の境なくすべての人々の鎮魂の為の施設が計画され、その為のコンペが発表された。この考え方に感銘を受け、個人的にそのコンペに参加した。結果は残念ながら落選だった。その後、事ある毎に気になる施設だったがなかなか訪れる機会がなかった。

今ではどれほどの人が知っているかは分からないが摩文仁の丘が沖縄戦の中でも特に悲惨な歴史を持ち、多くの犠牲者を出した。そのほとんどが民間人で中でも女性たちは沖縄最南端のこの地に追い詰められて崖から身を投げて亡くなった方々が数知れなかった。映像も残っているので見た方も少なくないと思う。

25年ぶりのこの地は今は穏やかな空気が流れ、訪れる人々も癒されるような場所になった。あのような悲惨な過去があったことは想像すらできない。この地で無念にも亡くなった方々の魂が清められ、今は穏やかにされているならば何か肩の荷が降りた感じだ。

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LEICA M10-P / SUMMILUX-M 50mm f1.4 ASPH.

LEICA M10-P / SUMMILUX-M 50mm f1.4 ASPH.

同期会

今日は以前勤めていた会社の同期会の為、GINZA SIXへ。還暦前後のメンバーの同期会はお決まりの健康問題、家庭問題、介護問題などで盛り上がった。それぞれこの歳まで生きてくると入社した当時の面影は残しつつも取り巻く環境の違いで少々お疲れ気味だったり、その逆だったりと悲喜こもごも。しかし、こうして再会できたことは良きことだ。

今日の銀座は歩行者天国で天気も良かったせいか多くの人が銀座通りに繰り出していた。久しぶりに見たホコテンは様々な人種の様々な休日の過ごし方がレイヤーのように見えていた。レンズを通してそれぞれの人生の瞬間が浮かび上がり、彼らの人生の一瞬を垣間見ているような錯覚に陥った。写真ならではの世界でレンズマジックなのは分かっているがやはり写真は面白い。

LEICA M10-P / SUMMILUX-M 50mm f1.4 ASPH.

LEICA M10-P / SUMMILUX-M 50mm f1.4 ASPH.

天罰としか・・・

一昨日の関西地方の台風21号の惨憺たる光景を目にした昨夜、今度は北海道で震度6強の地震。朝になって大変な被害の模様が刻々と伝えられてきている。全米オープンの錦織圭と大坂なおみの大活躍、大谷翔平のトミー・ジョン手術の悲報。キヤノンの新ミラーレスカメラの発表と朝から精神的に処理できないほどの情報で混乱している。

来週は沖縄・東京・大阪・福岡と撮影と出張が続く。タイトなスケジュールを組まざるを得なかったことと相まって台風や災害のニュースで果たして撮影はトラブル無く終えられるのか?不安な気持ちで落ち着かない。こんな日はまずは目の前のやらねばならないことに集中していくしかない。

昨今の為政者や権力者の腐った姿勢と不誠実さ、それを毎日のように報じるマスコミの偽善者ぶり。続く災害を目にしてこの日本に対して天がお怒りとしか思えない。不謹慎かもしれないがそう思わざるを得ないほどこの国の状況は悲惨だ。本当に悲しくなる。

LEICA M10-P / SUMMICRON-M 35mm f2.0 ASPH.

LEICA M10-P / SUMMICRON-M 35mm f2.0 ASPH.

ヘクトールと旧田中家住宅

川口市の旧田中家住宅で相方殿の知人が作品展を開催していたので伺った。
懐かしくも味わい深い空間でしばし大正ロマンを楽しむ。旧田中家住宅とほぼ同世代のヘクトール。
囁くようなシャッターもその場の雰囲気を壊さず、和洋折衷の空気感と静かにシンクロしていた。

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LEICA M10-P / Hektor 73mm f1.9

LEICA M10-P / Hektor 73mm f1.9