写真と映像

映像にあって写真には無い手法に編集がある。カットを繋いでひとつのストーリーを作る。写真にも何らかの流れで撮影者のメッセージを伝えるという意味で組写真があるが映像のストーリー立てとは異なるものだ。さらに映像で決定的に違うのが時間軸をコントロールして全く違う印象を与えられるということだ。

同じ光景を撮ってもその撮り方とその後の編集で百人百様の表現が存在する。伝えるという意味での映像は写真とは全く違ったプロセスで奥が深い。対して写真はたった一枚の作品でも人の心や世界まで変えるほどの影響力を秘めている。それはそれで凄いことだ。

メッセージを伝えるという意味では見る側にとって映像は受動的で写真は能動的だ。映像は視覚と聴覚を通して人の心にストレートに入り、その時間を共有させられる。写真は視覚を通して一旦脳内に入り、自分なりのトランスレートをして心に落ちてくる。メッセージ性において映像は伝える側のウエイトが高いが写真は見る側のウェイトが高い。

デジタル技術の進化でどちらか一方ではなく、両方にチャレンジすることが可能になった今、伝えるメディアとしての写真と映像の違いを改めて感じる。写真は撮った瞬間に依存する為にビギナーズラック的なことも起こりうるが映像は撮った後からのさじ加減次第で如何様にもなって撮影者側の器と技量がストレートに出る。

機材や技術の進化で誰でも映像作品が残せる時代になって逆に撮る側の才能の無さが浮き彫りになる。それでも映像は楽しい。日々落ち込みながらもその刺激が心地よい。

半世紀ぶりのヒコーキカメラマン

自分が一眼レフを親に買ってもらってヒコーキ写真を本格的に始めたのは中学3年生の頃、当時、中高一貫の私立学校に通っていてその学校特有の時間割で水曜日の授業は午前だけ。お蔭で午後は時間があってよく羽田空港へ通っていた。高校生になると夢はパイロットになることととなり、ヒコーキ熱は益々盛んになった。

カメラはニコマートFTN、レンズはニッコール50mmと135mm、それにテレコンを付けて約200mm。しかもマニュアルピントで旅客機を必死に追っていた。今考えると隔世の感だがこれが当時は当たり前でアマもプロもマニュアルで離着陸する旅客機を撮っていた。

当時は今ほどヒコーキを好んで撮る人は多くは無かった。ヒコーキ専門のプロも数えるほど。旅客機もジャンボジェットが飛び始めたばかりで、ロッキードL1011トライスターやDC10も就航したてだった。DC8もまだ主力機で国産のプロペラ機YS-11も現役で飛んでいて顔ぶれは多士済々だった。

まだ、成田空港が無い時代で羽田が唯一の国際空港、アリタリアやルフトハンザ、BOAC英国航空、パンナムなどなど懐かしい航空会社で賑やかだった。その後、パイロットの夢破れ、徐々にヒコーキ熱も冷めてさらに写真を仕事にした為、プライベートでヒコーキを撮る機会など全く無かった。

フリーランスの仕事もそろそろエンディングを意識し始める年齢になり、プライベートに割ける時間も以前よりは増えつつある。これまで忘れていた「プライベートで好きなモノを撮る」という思いがふつふつと湧いてきた。考えてみれが機材自体は充実している。半世紀前に比べれば夢のような機材が目の前にある。これで撮らない手はない。そう思い立って早速羽田空港へ向かった。

改めて最新のカメラとレンズは凄い!日常はほとんど広角系でマニュアルピントで仕事写真を撮っている為、AFでの超望遠レンズのお作法に慣れるまでは時間がかかりそうだが極端に言えば誰でも簡単にプロ並みの写真が撮れる、と言ったら語弊があるが現代のAF性能や手振れ補正、高感度画質などもう感動しかない。改めてありがたい時代に生きていると思う。

写真は羽田空港第二ターミナルから、旅客機自体も好きだが今の羽田空港は東京スカイツリーや東京ゲートブリッジなどを遠景に臨み、近未来的な光景は半世紀前とは雲泥の差、それを上手く組み込んだ構図や超望遠を生かしてコクピットのパイロットの表情や会話などが伝わるシーンが今風だ。超望遠ズームも最新の超速AFも初心者並みのテク、何が正しいのかは分からないがとにかく楽しい!これに尽きる。

EOS R6 / RF100-500mm F4.5-7.1 L IS USM

NOKTON 21mm F1.4 ASPH.

ここ数年、ライカ用のレンズの購入は全く無かった。ライカレンズは随分長く使用してきて現在は5本のみ手元に残り、それで必要十分、新たなレンズには全く食指が動かなかった。だが、ライカ用ではなくムービー用にMマウントレンズを手にするとは思わなかった。

このNOKTON 21mm F1.4 ASPH.はEOS R6で夜間のジンバル撮影用に購入した。21mmの程よい広角域、f1.4の明るさ、Mマウントレンズの軽さ、ジンバルではマニュアルフォーカスがデフォルトなのでこのレンズはまさに動画用としてはうってつけのレンズ。昨年のクリスマスイブにアップしたムービーでもこのNOKTON 21mmを一部使用した。

動画用に購入したNOKTONだったがEOS RF用にはVMマウントしか選択肢が無かったことが幸いした。動画目的だったがそのままM10-Pでも使えるのは二度美味しいではないか!M10-Pに装着するとドデカくてドヤ顔でほぼノクチに近い押しの強さ。21mmは今まで数多く使用してきたがこれだけ巨大で明るいレンズは初体験。

いざ撮影してみると21mm f1.4は未体験の世界だった。同スペックでライカではSUMMILUX-M 21mmf1.4がある。高価過ぎて恐れ多くて眼中になかった。同じスペックでもSUMMILUXの最短は0.7mでNOKTONは0.5m!f1.4で20cmの差は思いのほか大きい。

21mmでまだ新たな世界があったことにちょっと興奮している。SUMMILUXはライカが世に問うだけあって超優等生な写り。NOKTONは開放での周辺の落ち方や写りにクセがあってちょっとオールドっぽい写りでこちらの方が味がある。NOKTON独自の世界観はなかなか魅力的だ。

LEICA M10-P / NOKTON 21mm f1.4 ASPH. / Visoflex Typ 020

LEICA M11とご先祖たち

先週の1月13日、LEICA M11が発表になった。各開発担当がそれぞれ解説を繋ぐプロモーションムービーで力が入っていた。M11で5世代目のM型デジタルになる。だが今回はあまりワクワク感はなかった。理由は今のM10-Pで十分満足していることと、あまりにも高価になってしまって現実的には今の自分には手が届かない存在になってしまったゆえ。ところでM型デジタルは今まで4世代使用してきたがふと振り返ってみた。

LEICA初のデジタルレンジファインダーカメラM8の発売は2006年12月。このあたりの事は過去ブログで書かれていた。ほとんど忘れていたが読み返してみて例の赤外線問題はありつつもM型初のデジタルカメラに興奮していたようだ。仕事でも使う予定だったのでブラックとシルバークロームの2台を同時にオーダーしていた。今思うと我ながら元気でヤンチャだった。

M8のマイナーチェンジ版のM8.2はM8のリリースから約2年後の2008年9月に発表され、M8からブラックとシルバークローム共にチェンジした。自分の過去ブログにあまり出てこない理由はおそらくM9の噂が出ていた頃で失敗作?のM8シリーズの出番が少なくなっていたのかもしれない。ただ、サイドブログのこちらでチラホラ書かれているので嫌っていたわけではないらしい。

そしてM9。2009年9月に発表された。これは今でもはっきり記憶している。9にちなんで9月9日にセンセーショナルに発表された。ライカとしてようやくフルサイズセンサーを積んだM型ライカのデジタルカメラが生まれた時の興奮は今でも覚えている。発売日の前日の25日は自分の誕生日でショップの好意で一日フライングで手にしたM9は一生忘れられないモノになった。これも過去ブログで書いている。

M9は自分のM型デジタル人生で一番長く使用したモデルで後にもう一台追加して2台体制になった。そのうちの一台をM9-Pにアップグレードして最後はM-Pと併用してトータル10年以上使用した。M9-Pについては右のTAG CLOUD「LEICA M9-P」に色々と書いている。

次にM-P。このM-Pは2013年に発表されたLEICA M(Type240)のプロフェッショナルモデルで1年後の2014年にリリースされた。この頃からM型デジタルは通常モデルではなく、専らプロフェッショナルモデルのPを好むようになった。やはりトッププレート上のLeicaの筆記体文字は何物にも代え難い。M-Pの事は右のTAG CLOUD「LEICA M-P」に色々と書いている。

そしてM10-P。スタンダードモデルのM10から遅れること約1年。2018年8月の発売日に満を持して手にした。M8から数えて12年、紆余曲折はあったがようやく真のM型デジタルカメラが完成した。ボディサイズはもとより、囁くようなシャッター音はあの伝説のM3の再来と呼べるモデルでこのM10-Pでライカは上がりと思えるようになった。振り返ると恐ろしいほどの投資をしてきてしまった。

M型ライカはフィルム時代からデジタル時代になってもボディデザインがM3以来、ほとんど変わらない。そして1920年~1930年代のバルナックライカ時代のLマウントから1954年のM3以降のMマウントのレンズがほぼ全て使える。こんなシステムはライカ以外存在しない。改めてライカに出会えたことはシアワセなことと思う。

M11はM10ベースの進化版でデジタルカメラとしてM10を超えて素晴らしいモデルとなっていることは想像できる。だが自分のフィーリング的にはM10-PでM型デジタルは完成したと感じているのでM11にはすぐには行かないと思う。ただし、M11-Pが出て自分の琴線に触れるようなモデルだったなら、思い切って人生最後のライカとするかもしれない。