SAKURA

この時期、桜が咲き、それを愛でることがどれほど幸せなことなのか。世界情勢、特にウクライナの人々を想うと平和で居られることが本当にありがたい。

自宅周りの桜が満開。久しぶりにライカでオールドレンズ。ビゾフレックスを使ってやっとピントが合わせられる不便さ。それでも写真はライカがいい。

最近は超優秀で眼も覚めるような写りのRFレンズばかり使っていてのこのレンズは落差があり過ぎて思わず笑ってしまう。相変わらずクセが強い90年前のレンズだが唯一無二の存在だ。

LEICA M-10P / Hektor 73mm f1.9 / Visoflex Type020

2011年3月11日の記憶

あれから11年も過ぎてしまった。4年前にも同じものを記した。

今、コロナ禍が続き、ウクライナの惨状を見るにつけ、天災、人災、世界中で納まることを知らないかのように様々なことが起こっている。日本においても決して忘れてはならないことは繰り返し残しておきたい。人は忘れてしまう生き物だから・・・。

2011年3月11日のブログより「言葉がみつからない」

3月11日午後2時46分。私は届け物があって銀座1丁目のビルのエレベーターに乗り込む直前だった。グラグラと揺れを感じて思わず乗ることを止めてビルの外へ出てみた。

その直後、大袈裟ではなく銀座全体が大きく揺れ、生まれて初めて身の危険を感じた。行きかう人たちからも悲鳴が聞こえ、ビル内に居た人たちも次から次へと表へ飛び出てきて銀座は騒然となった。

道路やビルがあれほど揺れるのを見たことがなかった。まるで映画のワンシーンを見るような錯覚すら覚えてしまい、自分でもどこをどのように歩いていたのかあまり記憶が無い。

最初の印象はとうとう来た!という印象だった。長く大きく揺れてこのままもっと大きな揺れになって東京が壊れるのではないか?という恐怖感。

ワンセグを起動すると震源地は遠い宮城らしい。にわかに信じられなかった。てっきり東京近辺だと思った。それほどの揺れだった。その後も余震による大きな揺れは治まらず、正直生きた心地がしなかった。

その日は夕方に幕張で撮影があり、なぜか行かなければと思い、全面閉鎖された首都高や高速は使わず一般道で幕張へ向かった。

その後、続々と入ってくる情報でこれは本当に大変なことが起きた。と。撮影どころかこれから通過する浦安や目的地の幕張もどうなっているか分からないのでは?と感じて関係者へ連絡を試みたが繋がるのはツイッターのみ。

どうするか迷いながら運転をしていると奇跡的に担当者から連絡が入り、イベントも撮影も中止に決まった。その頃になると自分自身も少し落ち着いてきたのでどう対処するかを模索しながらとりあえず自宅へ帰ることにした。

大渋滞が予測される一般道しか道は無かったし、いつ着くかも分からなかったが刻々と入ってくるテレビの映像とツイッター情報でどういうことが起きているのかが把握でき、比較的落ち着いた気持で自宅へ向かうことができた。

結局、60キロの距離を約7時間かけて帰宅した。帰宅して改めてテレビで見た被災地の映像は信じられなかった。現実にこんな恐ろしいことが起きてしまうのか?という気持と次々に来る余震でその日は眠れなかった。

これを書いている今でも小さい余震は続き、いつも揺れている感覚から抜け出せない。落ち着いた精神状態が保てない。だがしっかりと日常を取り戻さなければと思う。

正直、被災地の方々への言葉は見つからない。自分自身これほど恐怖感とショックを受けたことも記憶にない。今は一人でも多くの人々が無事であることをただ祈るのみだ。

日本のマンハッタン?

仕事やプライベートで首都高のレインボーブリッジを通過する時、いつも見惚れてしまう光景がある。汐留からお台場へ向かう下り線の左側、晴海ふ頭や豊洲方面の高層マンション群、その先に東京スカイツリーが見渡せる。まるでマンハッタン?とは言い過ぎか?空気が透き通った冬の午後や夕暮れ時の美しさなどは運転中でも見とれてしまい、撮りたい!と叫んでしまう。常に車で通る為に一瞬で通り過ぎてしまう光景をいつか撮りたいと思っていた。

その首都高の下の一般道の両脇に遊歩道があることは以前から知っていて一度は訪れて撮影したいと考えていた。だが少々問題があった。まず超望遠レンズ、そして遊歩道の海側、船の航路上に設置された金網フェンスの存在。望遠レンズは200mmまでは所有しているがそれ以上の焦点域は仕事では全く無用の為に縁がなかった。また金網フェンスは開放の明るいレンズでなければ写り込んでしまう。そんなことがあってなんとなく足を運べなかった。

LEICA Q-P

ところがその問題が一度に解決した。先日、若かりし頃のヒコーキカメラマンを再びやってみたいという思いで購入した「RF100-500mm F4.5-7.1 L IS USM」で羽田空港の旅客機を撮影した折、第二ターミナルのワイヤー状のフェンス越しに500mm開放で撮り、フェンスが全く写っていなかったことに驚いた。仕事では超望遠はほとんど使用してこなかったので恥ずかしながら素人丸出しの感だが遅ればせながら気が付いた。

春が訪れる直前の寒さが残る昨日、空気が濁る前の最後のチャンスと思い、遊歩道へ向かった。今回はR6ではなくR5!4500万画素と300mmから500mmで切り撮る光景は超望遠レンズの圧縮効果と相まって都市景観の人々の営みを凝縮したかのような光景となった。普段、全てを写し込む超広角の非日常感を生業としている身としては真逆の凝縮された非日常感は新鮮だった。

EOS R5 / RF100-500mm F4.5-7.1 L IS USM

写真と映像

映像にあって写真には無い手法に編集がある。カットを繋いでひとつのストーリーを作る。写真にも何らかの流れで撮影者のメッセージを伝えるという意味で組写真があるが映像のストーリー立てとは異なるものだ。さらに映像で決定的に違うのが時間軸をコントロールして全く違う印象を与えられるということだ。

同じ光景を撮ってもその撮り方とその後の編集で百人百様の表現が存在する。伝えるという意味での映像は写真とは全く違ったプロセスで奥が深い。対して写真はたった一枚の作品でも人の心や世界まで変えるほどの影響力を秘めている。それはそれで凄いことだ。

メッセージを伝えるという意味では見る側にとって映像は受動的で写真は能動的だ。映像は視覚と聴覚を通して人の心にストレートに入り、その時間を共有させられる。写真は視覚を通して一旦脳内に入り、自分なりのトランスレートをして心に落ちてくる。メッセージ性において映像は伝える側のウエイトが高いが写真は見る側のウェイトが高い。

デジタル技術の進化でどちらか一方ではなく、両方にチャレンジすることが可能になった今、伝えるメディアとしての写真と映像の違いを改めて感じる。写真は撮った瞬間に依存する為にビギナーズラック的なことも起こりうるが映像は撮った後からのさじ加減次第で如何様にもなって撮影者側の器と技量がストレートに出る。

機材や技術の進化で誰でも映像作品が残せる時代になって逆に撮る側の才能の無さが浮き彫りになる。それでも映像は楽しい。日々落ち込みながらもその刺激が心地よい。