先日のカーグラフィックTVでカーグラフィック誌(CG誌)の創設者・小林彰太郎氏の生誕90年の特別企画を放送していた。小林彰太郎というと自分と同年代の車好きには有名な方で特に外国車のマニアには神様のような人だ。だが今の若い年代の車好きの人は必ずしも有名ではないらしい。何人かに氏のことを尋ねてみたがほとんど知らなかった。残念なことだ。
企画の内容は歴代のCG誌編集長やCG関係者の方々が小林氏の人となりを振り返りながら自分達がいかに氏の影響を受けたか、氏の哲学的で華麗な文章に影響を受けた大手自動車メーカー幹部が今でもいかに多いかを語っていた。中でもレースに対する情熱や晩年まで続いたヨーロッパの旧車への愛情の深さを語っていた。
実は小林氏とは血は繋がっていないが自分とは親戚関係になる。少しおこがましい気持ちだが相方殿の父親、つまり自分の義父が小林氏とは従兄弟同士の関係で若い頃から車や音楽などで親しくしていたそうで晩年まで親交が続いていた。小林氏とは義父の葬儀の折、最初で最後、ただの一度だけお会いしてお話をさせて頂いたことがある。
その時の話の内容は本田宗一郎氏のこととライカのことだった。自分が根っからのホンダファンだと伝えると小林氏はホンダS500試乗会からの本田宗一郎氏との関係、F1参戦時のことなどひとしきり本田宗一郎氏との思い出話を聞かせて頂いた。また、ホンダが初めてF1に参戦した1964年、自費で渡欧して日本人ジャーナリストとしては初めて現地取材をした時のことも伺った。
その中で撮影はライカを使用されていたことを知っていたのでそのことに触れるとカメラはバルナックライカのⅢfでレンズは50mmと90mmを使用して撮影されたことを懐かしそうに語って下さった。1960年代という海外旅行すら一般的ではない時代に渡欧し、ライカを携えながらホンダS600を駆ってヨーロッパのF1サーカスを転戦・取材を続けるなどモータージャーナリストの世界でもパイオニア的存在。
やはり小林彰太郎氏は後にも先にも不世出のモータージャーナリストだ。そんな方とほんのひと時だったが直接お話を伺える時間が持てたことは今振り返ると貴重な経験だった。ホンダが小林彰太郎氏を悼んで綴った追悼コラムからも氏の偉大さが分かる。