感性に寄り添うM型ライカ

お盆休みで納品作業をしつつ傍らにあるM10-Pを眺めながら最近感じていたことなどを。最新のミラーレス一眼の売りのひとつに瞳AFがある。ソニーやキヤノンの最新機種のα7R4やEOS R5などは人間だけでなく動物や鳥の瞳にもピントが合う。しかも一度ピントが合えば余程の事がない限り外さずにピントが合い続ける。いやはや技術の進化は恐ろしいほどだ。

一眼タイプはピントの位置も絞りの効果も写る範囲もファインダーの見たままの結果が写真となる。一見、一眼タイプの方が正確に意志が反映されると思われるがこれが少々違うような気がする。今の一眼タイプは何も考えなくてもカメラが勝手にピント位置と絞りを決めて正しい写真を撮ってくれる。AFなどはもはや人間の意志決定のスピードを超えている。連続撮影は動画の切り出し画像を猛烈なスピードで見せられている感覚だ。

一眼レフの技術的な進化は大いに恩恵を受けてきた。ただ、最近の進化はどうも人間の感覚を超えている気がする。自分のタイミングでシャッターチャンスを捉えるという行為から外れ、カメラ任せで数多く打って撮影後にセレクトするという行為はあたかも入力行為のように感じる。百歩譲って仕事ならば入力行為でも良しとしよう。ただ、プライベートで撮影や写真を愉しむことからすると果たして正しい選択なのだろうか?

対してM型ライカのレンジファインダーカメラだがその技術的な進化は半世紀前に止まっている。今のカメラと比べたら不便極まりない。レンズの焦点距離とは関係なくガラスの素通しの光景で被写体を見る。ピントの位置と絞りを自ら決めてシャッターを押す。ライカは全て自分の意志で操作してシャッターを切らなければ結果は残らない。人間の意志が結果にダイレクトに繋がっている。

ファインダー内で被写体に相応しい構図を決め、ピントの位置と絞りを探り、どんな絵になるかを脳内でイメージしながらベストなタイミングでシャッターを切る。M型ライカは一枚の写真を撮る為に自分自身の感覚をフル回転させる。そういう意味ではM型ライカはブランド力以外にそのプリミティブな撮影プロセスゆえに半世紀も支持され続けていると感じる。

自分はM型ライカとマニュアルレンズで初めてピントと絞りの意味を教えられた。撮影行為とは五感をフル稼働させることも学んだ。今の最新機種はピントと絞りの意味を教えてくれるのだろうか?人間の五感をフル稼働させてくれるのだろうか?スマホがカメラにとって代わる現代だからこそ、若い方たちに人の感性に寄り添うM型ライカを使ってみてほしい。高価なだけのカメラではないことが分かると思う。一生の宝物になるはずだ。

SIGOTOMO LEICA M10-P / SUMMARON-M 28mm f5.6

LEICA M10-P / SUMMARON-M 28mm f5.6