悲しみがふつふつと・・・

8/8、東京オリンピックが終了した。事故も無く、災害にも見舞われず、無事に終えたことにホッとしている。おかしな言い方だがケチが付きまくっていた今回のオリンピック、最後に何か大きな災いが起こるのでは?と危惧していたが杞憂に終わった。

アスリートたちの大活躍には毎日こころ踊らされ、無観客にも関わらず、そのパフォーマンスは素晴らしかった。コロナ禍での開催には賛否あったが自分はオリンピックの開催自体は招致したからには世界の国々に対して開催義務があり、かつこのオリンピックに人生をかけた世界中のアスリートたちにも大きな責任があると考えていた。

もしも国内の世論に押されて中止の判断をした場合、日本はこの先オリンピックの開催資格を失っていた可能性もあったと思う。それはこの国の子供たちから将来の大きな夢を奪うことになっていたと思う。目先の感染者数を理由に漠然と開催反対を唱える反対論者がそこまで考えを及ばせていたとは思えない。

今回のオリンピックは今までにない形のオリンピックになったが世界に対して少なくとも最低限の義務は果たし、かつそれ以上の成果もあって意義ある大会になったと思う。もちろん現在のオリンピックの開催形式には大いに異論はあるがそれはまた別問題だ。

残念だったのは開会式・閉会式の演出にケチをつける人が多かったこと。元裏方側の人間として思うこと。コロナ禍による一年延期、限られた予算、そして無観客での運営等々、これだけ多くのハンデを背負っての世界的イベントのセレモニーは誰も経験したことがない。裏事情には人為的なものもあったが現場のクリエイター・スタッフたちはこの困難の中、本当によくやったと思う。彼らには大いに拍手を送りたい。

ただし、招致から8年、長期間に渡って準備を労してきた大会関係者たちの無念さ、厳しい環境下で黙々とボランティアに徹したスタッフ、自国開催にもかかわらず自国の応援も叶わなかったアスリートたちの家族と国民、おもてなしを準備していた人々は日本の魅力を伝えることも出来なかった。それらを想うと無念でならない。

もう高齢と言える自分にとって自国開催で直接肌で感じられるオリンピックを体験できる最後の機会が失われてしまった。この先、もし再び日本でオリンピックが開催されたとしても体験できることは叶わない。悲しみがふつふつと湧いてきて止まらない。