デビュー作

1999年秋、自分がまだ会社員だった頃、勤務中に会社の代表部門から一本の電話が回ってきた。「深作組」と名乗る方からの電話とのこと。自分の居た会社は制作部門の協力会社に似たような社名のプロダクションも少なくなかったので何かの制作会社かな?と思い電話に出た。

電話に出ると「深作組の助監督の〇〇ですが板村様ですか?今回板村様の撮影された野島埼灯台の写真を深作監督の次回作で使用したいと考えていますが宜しいでしょうか?」と。あまりにも唐突でいきなりのことだったのでどう反応してよいか分からず、すぐには返事が出来ずいると「具体的な事はまだ未定ですが板村様の写真を監督がいたく気に入り、ぜひ使用させて頂きたいということです」

仕事中にも関わらず思わず声をあげてしまった。その後、改めて尋ねてみるとその1年前にオープンした野島埼灯台の資料室にたまたま自分の撮った写真がディスプレイされていてそれを関係者が見てそれが深作監督の目に留まったらしい。まだプロになる前のアマチュアゆえそんな依頼は生まれて初めてのことだったので何も考られずにぜひ使って欲しい旨を伝えた。

数日後、その助監督が作品の台本らしきものを携えて訪れ、その作品があの「バトル・ロワイヤル」だったことを知った。その時はどんな内容になるかなど分かるはずもなく、ただ、自分の写真をどんな場面で使われるのか確認したところ、可能性としてもしかしたら写真自体に加工させて頂き、一部動かすかもしれない。と。ん?動かす?写真を動かす?当時はCGなどまだ一般的ではなかったので想像すら出来ず、曖昧なまま承諾したことを記憶している。

作品は翌年に公開され、社会的にはかなりのインパクトのある作品となり、国会議員を巻き込んでの問題作となった。自分はと言えば頂いたチケットで早速鑑賞に行き、映画館の大スクリーンに映し出されて何やら動いている自分の写真を観て驚いたことを記憶している。社会的な問題作がデビュー作となったことは複雑だったがエンドロールに自分の名前を発見したときは正直嬉しい気持ちだった。

灯台の作品は会社員の傍ら1992年から1998年頃にかけて全国を撮り歩いたもので全てリバーサルフィルムでアーカイブされている。その辺りのことは以前書いた。現在は積年の課題だったデジタル化の為のスキャンを行っている最中だが、奇しくも今週末「バトル・ロワイヤル」がWOWOWで放映される。WOWOWを視聴できる方が居れば一瞬だがこの写真が動くシーンとエンドロールに注目して頂けたらありがたい。笑

CANON EOS-1 / EF 80-200mm F2.8L / RVP

CANON EOS-1 / EF 80-200mm F2.8L / RVP