いだてん

今年の大河ドラマ「いだてん」が過去の大河ドラマの最低視聴率記録を更新したらしい。さもありなん。自分は昔からの大河ファンだがそれまでの最低記録ホルダーだった「平清盛」は映像の汚さで途中で挫折した。その他では「龍馬伝」も同じように映像があまりにも汚いので観たり観なかったりだった。

自分の志向として中身はともかく映像が美しいか否かがかなり重要な要素のようだ。写真の志向と重なるようだ。それはともかく、それでもこの2作品以外はほとんどの大河を観て来ている。そこで今回の「いだてん」。テーマは良いのだが構成で不満なところがある。ビートたけし演じる古今亭志ん生のくだりだ。

金栗四三とオリンピック、その後の箱根駅伝、そして女性アスリートの誕生、2度の東京オリンピック誘致への流れは来年に東京オリンピック2020を控え、とても意義があって今までに無い大河だと評価している。だが時代を超えて話を進行する志ん生のくだりが逆に話の繋がりを分断してしまって複雑にしていると感じる。

途中から「いだてん」を観た視聴者(例えば自分の相方殿)などは話が良く分からない。たけしがなぜ出てくるの?いつの時代の話なの?といった感想になる。脚本はあのクドカンだが意欲的なチャレンジが裏目に出てしまっている感が強い。いまさら構成を変えることは難しそうなので今後どんな展開にしていくのかクドカンのお手並み拝見だ。

LEICA M10-P / Super-Angulon 21mm f3.4

LEICA M10-P / Super-Angulon 21mm f3.4

大桟橋

昨日、久しぶりに横浜大桟橋を訪れた。ちょうど横浜・馬車道での撮影仕事があり、予定より早めに終わったのでGWで混んでいるかと少々迷ったが幸い午前中早めの時間だったのでまだ激混みという感じではなかった。

大桟橋は観光客だけでなく花嫁花婿のウェディング撮影、カップルのデートスポット、家族連れの憩いの場、ジョギングランナーのコースなど多士済々の相変わらずの光景。ここは訪れた人が他人をあまり気にせず自由気ままに過ごせる空気感があってリラックスできるので好きだ。

残念ながら大型客船は入港していなかったが、天気の良い日の大桟橋はいつ来ても良い。撮影仕事の疲れも癒してくれる。

LEICA M10-P / Super-Angulon 21mm f3.4

LEICA M10-P / Super-Angulon 21mm f3.4

令和へ

本日は平成最後の日。

そういう呼び方が色々なところでブームのように叫ばれていていささか辟易としている。元号が変わるだけでお祭り騒ぎはいかがなものか?天皇陛下が様々な問題をご提示されてご英断を持って退位される。国民も政治家も陛下のお気持ちを真摯に受け止めて今後の日本と皇室の問題を真剣に考えていくべきだ。特に女系天皇問題はこれ以上先延ばしすべき問題ではない。

自分はガチガチの昭和生まれ。平成に元号が変わったときのことは鮮明に覚えている。会社員時代、在籍した会社が古くから宮内庁の仕事もしていた。その為、昭和から平成へと変わる当時は大喪の礼と即位の礼の式典準備で多忙にしていた。あれから30年!光陰矢の如しだ。

川越には江戸だけ?でなくまだまだ昭和も残っている。地元では田舎の伊勢丹と呼ばれる老舗の丸広百貨店、その屋上遊園地。たまに昭和の空気を感じに訪れる。令和になっても残して欲しい光景だ。

追記
今年の9月1日をもって屋上遊園地「丸広百貨店わんぱくランド」は閉園。51年の歴史に幕を下ろす。百貨店自体の耐震工事の為で致し方ないとのこと。残念。

LEICA M10-P / SUMMARON-M 28mm f5.6

LEICA M10-P / SUMMARON-M 28mm f5.6

小さな生命

腎不全のため腎臓が全く機能していない我が家のイネ。昨年の正月に発症して以来、ほぼ毎日のように自宅で皮下輸液注射を施している。もともとヒトが近づいただけで脱兎のごとく逃げ回る習性のイネ。そのイネを捕まえて皮膚を持ち上げ、正しい位置に注射を打ち、ヒトの点滴のように250mlの輸液を手絞り?で注入する。言葉で書けば簡単だが毎回相方殿と二人掛りで格闘状態だ。

この一年間、様々な工夫をしてきて徐々に慣れてきた。まず押入れの狭い場所に追い込み、捕まえたら即座に黒布を顔に被せ、目隠し状態で洗濯ネットに入れる。こうすると全く抵抗しなくなる。傍で見ていると虐待状態だがあくまで治療、仕方がない。猫の皮膚自体はかなり伸びるが最初はどこの部分をどこまで伸ばしてどこに打てば良いのか手探り状態。打ち所が悪いと輸液が漏れてきたり、モゾモゾと体を動かされて針が外れて失敗する事も多々あった。

今ではすっかり慣れて捕まえるのも注射を打つのも輸液を搾り出すのも手際よく短時間で出来るようになった。最初はどうなるかと思ったがイネ自体も慣れてきて輸液を入れると楽になるようで、最近では追い込まれて小さくなっているイネの瞳は嫌々ながらも注射を打つのを待っているようにも見える。ただ、人間に例えれば人工透析状態。いつどうなるかは神のみぞ知るである。

逃げ回って触ることすら出来なかったイネが短い時間でも手の中で静かにしている姿を見ると腎臓が機能していないにも関わらず小さな体でよく生きながらえているものと思う。イネに輸液を入れている時間、小さな生命に直面し、自分たち夫婦にとっても実は貴重な時間であることに気付かせてくれる。ヒトにも言えることだが生命の儚さや日常の瞬間を大切にすることをイネを通して学んでいる気がする。

LEICA M10-P / Thambar 90mm f2.2

LEICA M10-P / Thambar 90mm f2.2