GO TO TRAVEL = RE-HOME

GO TO TRAVELを利用して地元の川越プリンスホテルに2週間ほど連泊!をしてきた。まさかGO TO TRAVELで地元ではまあまあお高い方のプリンスホテルに連泊することになるとは思わなかった。通常価格の半額近くとあっては使わない手はない。

というのは実は自宅の水回り配管のリフォーム工事で2週間ほどどこかへ仮住まいしなければならなかったので相方殿は愛猫と一緒にリフォーム会社手配の仮住まいへ。自分は納品仕事が山積みでメインPCを使用せざるを得ず、昼間は工事とは関係のない自室に籠って仕事、夜はホテルに泊まりに帰るという生活を2週間続けた。

マンションも30年近く経つとさすがに配管関係も日々不安だらけ、大工事になったが思い切って床下配管を一新した。その恩恵?でGO TO TRAVELも経験できてある意味貴重な体験の2週間だった。川越プリンスホテルは東武東上線本川越駅の駅ビル?といってもいい立地で地元では老舗のホテル。建物は古いが中身はまあまあ快適だった。

川越(と言っても中心地からは程遠い)に移り住んで10年、いつでも気軽に小江戸近辺を散策できる場所で生活したのは初体験でこれはこれで便利で魅力的なものだと実感した。もしもそんな立地で普段生活していたら毎夜、誰かを誘って飲み食いに彷徨っていたかもしれないと思うと今の自宅あたりでちょうど良かったのかもしれない。

LEICA Q-P  @KAWAGOE PRINCE HOTEL

LEICA Q-P @KAWAGOE PRINCE HOTEL

雲と太陽

最近は四季の移り変わりが以前ほどはっきりと区別がつかない気候になりつつある。だが日々注意深く雲と太陽を観察しているとやはり季節の変わり目は感じ取れる。自宅ベランダは5階で高層階とは言えないが田舎の為、目の前は開けていて田園と川越の街並みが広がり、その先には遠く秩父の山々が連なり、ここから望める空模様は毎日の愉しみのひとつだ。

連日猛暑が続いた8月もそろそろ秋の気配が近づいているようだ。昨日の雲と太陽は珍しくモノトーンな光景で夏から秋へとバトンタッチするかのような気配を感じた。写真をやっている人は雲や太陽の変化に敏感だが一般の人たちは意外と無頓着だ。せっかくの自然が生むアーティスティックな光景を楽しまないのはもったいない。

プライベートではズームは基本使わない。単焦点オンリーだ。ズームでグリグリやって良いアングルを探すというスケベ心はファーストインプレッションを薄めてしまう。ここは50でとかここは28でと決めてその時のピュアな印象を写し撮ることが何より心地よい。

LEICA M10-P / SUMMILUX-M 50mm f1.4 ASPH.

LEICA M10-P / SUMMILUX-M 50mm f1.4 ASPH.

バネに変わる

人は生きていく中で他人の言葉で傷ついたり、悲しんだり、喜んだり、励まされたりすることが多々ある。振り返ると自分の人生の中で忘れがたい影響を残したのは傷ついたシーンだった。しかしそこで浴びせられた言葉のお陰で今日の自分がある。

ひとつは自分が社会人1年生で右も左も分からないデザイナー見習いの頃のこと。あるイベントの仕事でプロダクションのディレクターと仕事をした折、企画書にあったMCという言葉が分からず「この世界に居てこんなことも知らないの?!」と会議中に人前であからさまに馬鹿にされたこと。

MCとはマスターオブセレモニーと言う意味でいわゆるイベントの司会者的な引き回し役のこと。空間系専門のデザインを勉強してきてイベントのことなど学んでこなかった身としては分からずとも悪くはないのだが、これが悔しくて駆け出しの身ながら深く傷ついた。

1年生に向かって人前で放つ言葉かどうかは別にしてその経験によってそれ以後、相手がたとえ1年生でもただ経験がないというだけであからさまに馬鹿にすることのないように肝に銘じた。相手のキャリアの多少や有無だけで態度を変えることのないように常にリスペクトを持って接することを心掛けてきた。

もうひとつはパーソナルコンピュータ黎明期の頃。ウィンドウズOSがまだWindows 3.1で自分もまだまだビギナーで数少ないエキスパートに不明なこと、疑問に思うことをその都度お伺いに行っていた。熱心さゆえ何度も何度も聞きに行ったせいなのかある時「そんなことは猿でも分かる!」と言い放たれた。

この時も何もそこまで言われなくても!?と思ったが、それがきっかけでもう二度と聞きに来るまい!と誓い、その時から全て独学で学ぶことが身に付いたお蔭で今のフリーランスとしての自分がある。マイナスの経験がプラスのバネに変わったということになるがこの類の事は誰にでも一つや二つはあるのではないだろうか?

LEICA M9-P / Hektor 73mm f1.9 @Kamakura20170731

LEICA M9-P / Hektor 73mm f1.9 @Kamakura20170731

感性に寄り添うM型ライカ

お盆休みで納品作業をしつつ傍らにあるM10-Pを眺めながら最近感じていたことなどを。最新のミラーレス一眼の売りのひとつに瞳AFがある。ソニーやキヤノンの最新機種のα7R4やEOS R5などは人間だけでなく動物や鳥の瞳にもピントが合う。しかも一度ピントが合えば余程の事がない限り外さずにピントが合い続ける。いやはや技術の進化は恐ろしいほどだ。

一眼タイプはピントの位置も絞りの効果も写る範囲もファインダーの見たままの結果が写真となる。一見、一眼タイプの方が正確に意志が反映されると思われるがこれが少々違うような気がする。今の一眼タイプは何も考えなくてもカメラが勝手にピント位置と絞りを決めて正しい写真を撮ってくれる。AFなどはもはや人間の意志決定のスピードを超えている。連続撮影は動画の切り出し画像を猛烈なスピードで見せられている感覚だ。

一眼レフの技術的な進化は大いに恩恵を受けてきた。ただ、最近の進化はどうも人間の感覚を超えている気がする。自分のタイミングでシャッターチャンスを捉えるという行為から外れ、カメラ任せで数多く打って撮影後にセレクトするという行為はあたかも入力行為のように感じる。百歩譲って仕事ならば入力行為でも良しとしよう。ただ、プライベートで撮影や写真を愉しむことからすると果たして正しい選択なのだろうか?

対してM型ライカのレンジファインダーカメラだがその技術的な進化は半世紀前に止まっている。今のカメラと比べたら不便極まりない。レンズの焦点距離とは関係なくガラスの素通しの光景で被写体を見る。ピントの位置と絞りを自ら決めてシャッターを押す。ライカは全て自分の意志で操作してシャッターを切らなければ結果は残らない。人間の意志が結果にダイレクトに繋がっている。

ファインダー内で被写体に相応しい構図を決め、ピントの位置と絞りを探り、どんな絵になるかを脳内でイメージしながらベストなタイミングでシャッターを切る。M型ライカは一枚の写真を撮る為に自分自身の感覚をフル回転させる。そういう意味ではM型ライカはブランド力以外にそのプリミティブな撮影プロセスゆえに半世紀も支持され続けていると感じる。

自分はM型ライカとマニュアルレンズで初めてピントと絞りの意味を教えられた。撮影行為とは五感をフル稼働させることも学んだ。今の最新機種はピントと絞りの意味を教えてくれるのだろうか?人間の五感をフル稼働させてくれるのだろうか?スマホがカメラにとって代わる現代だからこそ、若い方たちに人の感性に寄り添うM型ライカを使ってみてほしい。高価なだけのカメラではないことが分かると思う。一生の宝物になるはずだ。

SIGOTOMO LEICA M10-P / SUMMARON-M 28mm f5.6

LEICA M10-P / SUMMARON-M 28mm f5.6