演算装置?

メディアアーティストの落合陽一氏がライカ使いということは以前から知っていたが最近の氏のYouTubeチャンネル「落合陽一録」でノクチルックスを彼らしい感覚・論理で語っていて非常に印象的だった。

氏はかなり多くの新旧ライカレンズをお持ちでその中でも50mmが好きで特にノクチルックスがお気に入りで初代f1.2の正しいレンズ?と不良品?の二本、球面タイプのf1.0、そして最新の非球面タイプf0.95の各一本、計4本のノクチルックスをお持ちらしい。

落合氏に依るとレンズとはアナログの演算装置というふうに捉えていて例えばオールドレンズの滲みや収差から来る写りをコンピュータで計算すると膨大な処理と時間を要する。そういう視点で言えばレンズを通った光をフィジカルに画像に変換するレンズは処理能力の早い演算装置だと。

また、初代f1.2の不良品はなぜか後玉が逆に付けられていてボヤボヤの写りの珍品で我々の感性からだと即売却対象になってしまう代物だが、それが演算と言う視点ではこれを再現するにはさらに大変なことであえてそういう写りのレンズは貴重で大切にしていると。これは目から鱗!

その他、色々と氏独特の論理はなかなか新鮮でこういう切り口でライカレンズを語った人は初めてだ。翻って自分はライカレンズをどう捉えているか?以前にも書いたが自分はライカレンズは人類の貴重な財産だと思っている。今のひと時だけ自分が預かってその時代の光を記録している。

いわゆるライカオールドレンズは様々な人の手を経て想像すら出来ない数の光を刻んでいる。最新のレンズは開発者たちの究極の写りに対する強い情熱が込められている。その分超が付く高価だが・・いずれも目には見えないが何かを持って今日まで生き続け、新たに生まれてきている。

落合氏に比べれば自分は非論理的で感傷的だがライカレンズはそう思わせる何かを内包していると感じている。それが自分の被写体へのアプローチに少なからず影響していることは事実だ。自分にとってのライカレンズは目に見えない力が作用する第二の眼だ。

LEICA M9 / NOCTILUX-M 50mm f1.0 @2011 SUMMER

LEICA M9 / NOCTILUX-M 50mm f1.0 @2011 SUMMER