昨年の12月10日、親友であり、フリーランス仲間であり、会社員時代の後輩でもあった無二の友人が急逝した。59歳だった。原因はくも膜下とのことだが元々動脈瘤があってそれが一気に出血して直前まで何の前触れもない中、逝ってしまった。仕事のことや趣味のことなど色々なことで波長が合っていつも夜な夜な長電話してしまう仲だった。
ここ数年は映像制作で類稀な才能を持った息子君の話ばかりで子供の居ない自分にとって息子君の活躍を友人を通して聞くことが楽しみで仕方がなかった。亡くなる2週間ほど前に友人と息子君と3人で会った就職内定祝いの食事会が最後に見た友人の姿となってしまった。連絡先に残っている彼の携帯番号に電話をかけたら変わらぬ声で出てくれそうで今でも亡くなったことが信じられない。
実はその食事会で自分が撮った短いムービーが彼と息子君の最初で最後のツーショットムービーになってしまった。少々照れが残る父と息子の他愛もない会話が残されていて食事会の夜にすぐに友人に送っておいたムービーだった。友人の死後、息子君が友人のPC内でたまたま発見したムービーを見て、「宝物」です。とメッセージをくれた。これから映像のプロとなる息子君にとって辛いムービーになってしまったが撮っておいて良かったと思う。
写真を生業にしている定めなのか自分の義父や義母、そして数年前の母親の遺影も自分が撮ったものだった。つくづく思うのはその時々で何気ない写真でも自分のカメラできちんと撮っておくことの意味。お気軽なスマホではなく相手も自分もそれなりに構えざるを得ない写真は違う空気を持っていると感じる。
このブログを訪れて頂いている方々の多くはカメラを趣味にされていると思う。ご自分の周りの大切な人たちをご自分のカメラできちんと残しておくことをお勧めしたい。人生において確かな明日は無いのだから。自分も相方殿をしばらくきちんと撮っていない・・・自戒も込めて。