「シャボン玉とんだ宇宙までとんだ」との出会いは不思議な出会いだった。
1988年の音楽座旗揚げ公演の年、自分は多摩センターに建設中の「サンリオピューロランド」のプロジェクトにアートディレクターとして携わっていた。いくつかあった担当エリアの中でメルヘンシアターというアトラクション計画があり、ちょうど基本設計が済んで実施設計に入る前だったと記憶しているがサンリオの担当者から相談があった。
オープン後のメルヘンシアターで実際に演劇を依頼できる劇団を選定中でその中に発足間もない音楽座がリストアップされていた。その為、当時のプロジェクトリーダーと私に実際にその劇団の公演を観てきて欲しいとの打診があった。それが「シャボン玉とんだ宇宙までとんだ」だった。
それまでミュージカルなど全く縁がなかった自分はリーダーと共に初めて本多劇場へ足を運んだ。チケット窓口に行くと前売りのチケットはすでに売り切れていて当日券の補助席ならばあるとのこと。今振り返るとその時すでに公演の終わり際で評判が評判を呼び、チケットが入手しずらい状況だった。
仕方なく通路に設けられたパイプイスの補助席で居心地の悪さを感じながらも幕が上がった。最初は宇宙空間からの関西弁からの宝塚?と違和感を感じていたが始まってしばらくすると一人の少女があのメロディを歌いだした。その途端、全身にカミナリが落ちたような衝撃と心の奥底を揺さぶられる感動に出会ってしまった。それが「ドリーム」だった。
狭い本多劇場の通路前方3~4列目の距離でその歌声を浴びてしまった。その少女のどこまでも届く透き通った天使のような歌声は人生で初めて人の歌声で涙がこぼれた。その少女こそ若かりし頃の土居裕子さんだった。実は初演のストーリーはあまり記憶していない。土居裕子さんの歌声しか覚えていない。それほど衝撃的な出会いだった。
人生で初めて観たミュージカルがシャボン玉の初演という今振り返ればなんという幸運!その瞬間からミュージカルを愉しむ豊かな時間が持てる人生が始まった。自分の人生においてサンリオピューロランドから始まったテーマパークとの縁は無くてはならないがそのことによって音楽座と出会い、「シャボン玉とんだ宇宙までとんだ」に出会い、土居裕子さんという永遠のマドンナに出会えた。縁というものは不思議なものだ。