平成最後の終戦記念日

今日8月15日は73回目で平成最後の終戦記念日。自分の記憶の中での終戦記念日は73年前という感覚ではなく終戦後20年という感覚が強く残っている。1956年生まれの自分には1945年の終戦は物心ついた10~12歳頃に初めて意識した戦後20年という言葉が強く残っている。戦後73年という事実はにわかに信じ難い。

自分が終戦を意識した頃は戦後の光景がまだ残っていた。省線(今のJRの前身の前身)と呼んでいた電車内には片足や片腕の白装束の傷痍軍人と呼ばれる人たちが少なくなかった。幼稚園から小学校の頃は船橋で育った。その頃の船橋にはまだ雑木林が残っていてそこは自分たちのいつもの遊び場だった。そこには塹壕の後が多数あって塹壕内には兵隊の鉄兜や飯ごうなどの戦争の残骸が残っていてそこで戦争があったことを確かに実感した。

今はもうそんな光景も無くなり、現代の人々は戦争の事実は書物やテレビの特別番組、映画の世界でしか知ることは無い。自分は戦争体験者ではないが母親や親戚の体験談、そして幼い頃の記憶で準体験者の感覚だ。それは悲しく、過酷なものだったのだろうと肌で感じた。甲子園では毎年この日の正午には全員で黙祷を捧げる。だがそれも自分には形だけの虚しい光景に写る。

なぜならば、今の日本の様々な状況を見るにつけ、この国が同じ過ちを繰り返さないという確信はない。また、国の違いを問わず、人類は過去から正しく学べない性。繰り返す悲惨な歴史は悲しい現実を証明している。無責任だが自分には解決策が見当たらない。愚かな戦争で尊い生命を捧げた多くの先人たちを忘れずに生きることしか思い浮かばない。

ただし、ひとつだけぜひ望みたいこと。宗教や国の思惑などを超えて先の大戦で亡くなった全ての方々を哀悼する場を造ること。沖縄には平和の礎(いしじ)という場所がある。ここは沖縄戦で亡くなった人々を国や人種を超えて哀悼する場だ。建設時に少しだけ関わった経験があったのでぜひこの平和の礎のコンセプトに習った国立施設を造るべきだと強く思う。

LEICA M9-P / Hektor 73mm f1.9

LEICA M9-P / Hektor 73mm f1.9

ライカ仙人 モダンレンズ編

自分の感覚としてライカレンズと言えば数年前まではライカオールドレンズと同義語だった。かなり長い間、現代のレンズには全く興味が持てなかった。我々の世代ではライカと言えばフィルム時代のM型ライカを意味する。同時に歴代のM型ライカのそれぞれの世代に生まれたレンズたちが膨大にある。それらはM型ライカを愛し、傑作を残した写真家たちと共に多くの伝説を作ってきた。

フィルム時代からのライカ愛好家は長い歴史の中の様々な伝説に憧れてその作品を撮ったクセのあるレンズたちを手にしたいと強く思うようになる。それに比べ、最新のレンズは写りはとても秀逸だがクセが無く、味も無い。伝説と呼べるものもまだ無い。ゆえに自分も最新のモダンレンズたちには食指が動かなかった。

だが、デジタル時代に生きるライカ愛好家として今のライカの存続も含めて現代の最新のライカレンズを使わずに愛好家と言えるのか?最新のモダンレンズを使って微力ながらライカを応援しようと考えを改めた。ちょうど3年前、タイミング良くこのSummilux 50mm f1.4 ASPH.とSummicron 35mm f2.0 ASPH.が限定のブラッククロームで発売された。50mmは初代Summiluxのデザインの復刻と謳っているが中身は現代のレンズ。35mmも当時は最新のASPH.レンズ。

この2本の写りは改めて語る必要がないほど秀逸で被写体と光の状況によっては唸る時がある。この2本にプラスして3本目としてSuper-Elmar 21mm f3.4 ASPH.を加えた。理由は21mmが昔から好きだったことと銘玉Super-Anglon 21mm f3.4へのオマージュだ。これも現代の21mmらしく文句のつけようが無い写りをする。ボディは専らM-P(Type240)だ。現代のレンズにはM-Pが合っている。もし、M10-Pが出ればこれに代わる可能性はあるが・・・

オールドレンズとモダンレンズ。合わせて6本で自ら仙人と呼ぶのは一般人には通じないだろうがレンズ沼に落ちた住人ならばご理解頂けると思う。世に数多あるライカレンズの中でたった?6本で満足できるということはライカの世界ではまさに仙人かと。まあ年寄りの戯言だが自らの戒めの意味もある。それほどライカの沼は自分を見失う。ここ数年はこの6本で十分満足していることは我ながら信じ難いことだ。

RX100M6

RX100M6

ライカ仙人 オールドレンズ編

Summilux 35mm f1.4、Hektor 73mm f1.9、Thambar 90mm f2.2。
今の自分にとってライカオールドレンズで必要十分なレンズはこの3本だ。

以前のブログで「デジタル時代のライカ仙人」というタイトルで、このレンズだけでもうライカレンズは必要十分!という内容のことを書いた。もう数年前になる。今の自分は仕事カメラとプライベートカメラの棲み分けが出来ていてプライベートはほとんどライカ中心で使うレンズも決まっている。

ライカと出会って約30年、フイルム時代は新旧レンズも今ほど高価ではなかったわりには使うレンズも少なかった。だがEPSON R-D1をきかっけにデジタルになって撮影結果がすぐに分かることも災い?して次から次へとレンズを手にした。その後、ライカ初のM型デジタル、M8の影響で人気はさらに加速し、ライカレンズは新旧問わず恐ろしく高価になった。が、それに比例?するように自分の使用遍歴も加速した。今振り返ると真っ青になるほど投資してきてしまった。

しかし、数年前、ちょうどフルサイズのM9が出てしばらくした頃、自分的にはもうこのレンズさえあれば他は要らない。と思うようになった。その時のレンズが、Summilux 35mm f1.4、Noctilux 50mm f1.0、Thambar 90mm f2.2の3本だった。この時はM9とこの3本だけで十分満足だったし、それがライカ仙人たるお作法と思えた。そして今は冒頭に記した3本になった。

Noctilux 50mm f1.0がHektor 73mm f1.9に代わっただけだがNoctiluxにはたくさん思い入れもあり、今ではとんでもなく貴重なレンズなだけに手放すことはかなり迷ったが、いかんせん使用頻度がどんどん落ちていた。逆にHektorには特別な思い入れがあってこのブログでも書いたが素晴らしいコンディションのHektorに出会ってしまい、今はこの3本に至っている。3本というのがちょうど良い本数でこれ以上でもこれ以下でもない。しかもM9-Pとのセットが一番似合っているレンズたちだ。この3本があるがゆえにいまだにM9-Pが手放せない理由でもある。デジタルでも伝統のM型ライカらしい雰囲気が残っている。

RX100M6

RX100M6

ワールドカップ雑感

始まる前は盛り上がりに欠けると思っていたワールドカップ。今年2月のピョンチャンオリンピックと同じで日本チームが活躍しだすと俄然盛り上がってきた。わがサムライブルーは3戦全敗の下馬評を覆し、第2戦を終えて負け無しの1勝1分。この結果を誰が予想しただろうか?自分はサッカーに特に精通しているわけではないが自国のチームが躍動し、結果が出ればワールドカップはやはり見入ってしまう。

それにしてもサッカーはやってみなければ本当に分からない。サッカーというスポーツは相手との相性や戦略、チームのフィジカルコンディション、選手のメンタリティ、監督の手腕、ピッチコンディションなどなど実に複雑な要素が絡み合う。野球などと違うのは一旦試合が始まると90分間の中で様々な要素が絡み合って流れが気紛れな風向きのようにコロコロと変わる。その結果、戦前の予想が覆ることが多々ある。ましてワールドカップでは選手の本気度も桁違いで国と国とのナショナリズムも絡み合って凄い試合になる。FIFAランキングや特定の選手の前評判も当てにならない。ゆえに面白い。

中継を観ていて痛感したことはサッカーというスポーツ、特に代表戦は結果云々よりも内容で満足度が違う気がする。勝ち負けに関わらず、お互いのサッカーを十二分に発揮してワクワクするようなプレーが観られればそれでかなり満足できる。今の代表はそういうサッカーを見せてくれている。こういうサッカーを常に見せてくれればかなりのサッカーフリークになれるのだが、どこの国の代表も常にそういうサッカーを見せ続けることは難しいらしい。4年に一度、厳しい予選を突破した選ばれた国だけの戦いだからこそ出来ることなのかもしれない。

LEICA M9-P / Hektor 73mm f1.9

LEICA M9-P / Hektor 73mm f1.9