原点回帰

「トーベ・ヤンソンあけぼの子どもの森公園」のことは何度か書いた。この公園が大のお気に入りで2年前から四季折々の美しい姿を動画で残してきた。

ムーミン谷をテーマに自然をそのまま残しつつ、常にきちんと手入れが施され、ムーミン谷のイメージを今日まで残し続けている貴重な公園。何度来ても穏やかな気持ちにさせてくれる。

雪景色以外の動画撮影はほぼ終えて一旦小休止。いずれ四季折々を描いた動画を編集したいと考えている。そして今季から写真の撮影を始めようと思い立った。実は動画を撮影している最中は写真まで残す気は起きなかった。日々、仕事で多くの写真を撮り続け、プライベートとは言え、その延長線上で写真を撮る気になれなかった。

きっかけは今やユーチューバーとして活躍中の写真家の渡部さとる氏の2Bチャンネルでのハッセルブラッドの中判デジタルカメラX1D2と907Xの紹介動画。氏曰く「仕事では使えそうもないが還暦後にじっくり付き合いたいカメラ」としてハッセルブラッドX1D2を選んだ経緯の動画を拝見し、自分のプライベートでのスチルライフにハッセルブラッドが非常に魅力的に見えてきてしまった。

同世代の氏の想いはよく理解できる。自分自身も写真については原点回帰の傾向があって写真を始めたアマチュアの頃の目の前の光景とじっくり対峙する撮影に戻りたい欲求があるようなのだ。ハッセルブラッドでこの公園の四季とゆっくり向き合いながら写真を残したい。そう思うようになった。

仕事以外では全く使わなかった三脚を据え、じっくり時間をかけて構図を決める。絞りを深く絞り込み、スローシャッターで光をたっぷり取り込んで写し撮るワンカットは仕事では味わえない感覚。まさしくこの感覚を求めていた。自分にとって写真はこういう付き合い方だったことを思い出した。

HASSELBLAD 907X 50C / XCD 3.5-4.5/35-75

再会、熊本城

6年ぶりに熊本城を訪れた。

8月末、福岡での出張撮影が無事終了した翌日、いつもは撮影が終われば出来るだけ速やかに帰宅して大切なデータを一秒でも早く保存したいのだが今回だけはどうしても行きたい場所があった。

2016年、熊本を襲った熊本地震。その震災時、3日後に熊本での仕事の予定があったがあまりにも酷い被害の為に出張は延期になった。実はその時も熊本城を訪れる予定だった。

3か月後、延期になっていた仕事で熊本を訪れた。現場へ向かう道中、市内のあちこちに被害の傷跡が残る中、少し迷ったがやはりどうしても熊本城を訪れたかった。

熊本城の被害を実際に目の当たりにするとあまりの被害の大きさ酷さに驚いた。城のあちこちで大きな石垣が崩れ、今にも崩れ落ちそうな本丸御殿や天守閣の無残な姿、中でも「奇跡の一本石垣」で有名になった飯田丸五階櫓の姿には言葉が無かった。

この時はこれ以上崩壊させない為の仮設工事中だった。その痛々しい姿は今でも忘れられない。その折、復興は5年、10年単位になると聞き、自分の年齢から言って生きているうちに元の姿を見ることは出来るのだろうか?と、なんとも悲しい気持ちになった。

昨年春、5年の歳月をかけ、まず天守閣の復興が完了した。新たに天守閣内に展示スペースも作られ、熊本城内部を周遊する見学コースも設置され、かなりの人気を呼んでいた。

今回、博多駅から熊本駅まで初の九州新幹線を乗車するというオマケ付きで朝一番で訪れた熊本城は雲ひとつ無い快晴で輝くような姿を見せてくれた。6年前のあの悲惨な姿を知っている身として自然と涙が出てきた。

「奇跡の一本石垣」で有名になった飯田丸五階櫓は5年後の復興を予定しているらしい。さらに熊本城全体の復興完了は10年後くらいだそうだ。もし健康で長生きできていたら完成した姿に会いに行きたいものだ。

HASSELBLAD X1D2 50C / XCD 4/21 / XCD 4/45P

2011年3月11日の記憶

あれから11年も過ぎてしまった。4年前にも同じものを記した。

今、コロナ禍が続き、ウクライナの惨状を見るにつけ、天災、人災、世界中で納まることを知らないかのように様々なことが起こっている。日本においても決して忘れてはならないことは繰り返し残しておきたい。人は忘れてしまう生き物だから・・・。

2011年3月11日のブログより「言葉がみつからない」

3月11日午後2時46分。私は届け物があって銀座1丁目のビルのエレベーターに乗り込む直前だった。グラグラと揺れを感じて思わず乗ることを止めてビルの外へ出てみた。

その直後、大袈裟ではなく銀座全体が大きく揺れ、生まれて初めて身の危険を感じた。行きかう人たちからも悲鳴が聞こえ、ビル内に居た人たちも次から次へと表へ飛び出てきて銀座は騒然となった。

道路やビルがあれほど揺れるのを見たことがなかった。まるで映画のワンシーンを見るような錯覚すら覚えてしまい、自分でもどこをどのように歩いていたのかあまり記憶が無い。

最初の印象はとうとう来た!という印象だった。長く大きく揺れてこのままもっと大きな揺れになって東京が壊れるのではないか?という恐怖感。

ワンセグを起動すると震源地は遠い宮城らしい。にわかに信じられなかった。てっきり東京近辺だと思った。それほどの揺れだった。その後も余震による大きな揺れは治まらず、正直生きた心地がしなかった。

その日は夕方に幕張で撮影があり、なぜか行かなければと思い、全面閉鎖された首都高や高速は使わず一般道で幕張へ向かった。

その後、続々と入ってくる情報でこれは本当に大変なことが起きた。と。撮影どころかこれから通過する浦安や目的地の幕張もどうなっているか分からないのでは?と感じて関係者へ連絡を試みたが繋がるのはツイッターのみ。

どうするか迷いながら運転をしていると奇跡的に担当者から連絡が入り、イベントも撮影も中止に決まった。その頃になると自分自身も少し落ち着いてきたのでどう対処するかを模索しながらとりあえず自宅へ帰ることにした。

大渋滞が予測される一般道しか道は無かったし、いつ着くかも分からなかったが刻々と入ってくるテレビの映像とツイッター情報でどういうことが起きているのかが把握でき、比較的落ち着いた気持で自宅へ向かうことができた。

結局、60キロの距離を約7時間かけて帰宅した。帰宅して改めてテレビで見た被災地の映像は信じられなかった。現実にこんな恐ろしいことが起きてしまうのか?という気持と次々に来る余震でその日は眠れなかった。

これを書いている今でも小さい余震は続き、いつも揺れている感覚から抜け出せない。落ち着いた精神状態が保てない。だがしっかりと日常を取り戻さなければと思う。

正直、被災地の方々への言葉は見つからない。自分自身これほど恐怖感とショックを受けたことも記憶にない。今は一人でも多くの人々が無事であることをただ祈るのみだ。

無我夢中

コロナ禍の中、仕事もプライベートもライフスタイルが変わったこの1年。世間並みに仕事は減ったが自分の年齢に相応しい身の丈に合ったペースになった。そして自分を本当に必要としている人と必要としていない人が分かってきた1年でもあった。これは良きことと思う。

写真は専ら仕事だけ、逆に仕事に役立てばと始めた動画はプライベートで完全にハマってしまい、本格的に取り組み始めてしまった。さらに昨年、動画のスキルアップの為に訪れた「トーベ・ヤンソンあけぼの子どもの森公園」に魅了されてしまい、この一年は何度も訪れた。

映画もミュージカルも大好きな自分にとって写真よりも動画の方がフィットしてしまった。この歳で夢中になれることに出会えたことは喜ばしいこと。楽しいは素晴らしいこと。写真は趣味から仕事になってしまったが動画は仕事のつもりで始めて趣味になってしまった。人生何がどう転ぶか分からないものだ。

今は動画のスキルが未熟なことは自分でも十分承知の助だ。だが撮影して編集して音楽をセレクトして完成させて人様の目に晒す。そして恥ずかしい思いを体験する。それでもめげず、繰り返す。それしか上達の道は無い。無我夢中で上手くなりたいと思っている。下手くそだからこそ上達を目指すことが理屈抜きに楽しい。

と言いながらライカで撮った写真も悪くはないとノンポリな自分だ。やはりライカとムービー撮影は対極にあって使う脳ミソが違う。それも楽しいと感じる。来年も健康で無我夢中になって楽しいことに出会える一年になればこの上なく幸せだ。

LEICA M10-P / SUMMILUX-M 50mm f1.4 ASPH.