写真と文章

写真はやればやるほど奥深く、いくつになっても難しいと感じる。身近の何気ないシーンを美しく見事に写真作品に昇華する人がいるかと思えば誰もが知っている絶景の地を訪れ、眼前の美しい光景を観ても人のこころを打つような作品を残せない人もいる。

文章も写真に似ている。何気ない文体と言葉でその場の空気感をも表現し、その光景が頭に浮かび、こころに染み入る文章を書いたり、何がしかの説明文でも驚くほど分かりやすい文章を書く人もいればいくつになっても小学生の作文レベルの文章しか書けない人がいる。

写真も文章も目の前の事象や自身の体験をどう感じてどう表現できるか、自分というフィルタを通していかに美しく表現できるかだと思う。写真も文章も良いものは美しい。この美しいということは自分自身が常々心掛けていること。

おそらく写真も文章も死ぬまで満点の答えは見つからないのだろう。それはそれで良いと思う。だからこそ続けられる。

LEICA M10-P / SUMMARON-M 28mm f5.6

LEICA M10-P / SUMMARON-M 28mm f5.6

雲と太陽

最近は四季の移り変わりが以前ほどはっきりと区別がつかない気候になりつつある。だが日々注意深く雲と太陽を観察しているとやはり季節の変わり目は感じ取れる。自宅ベランダは5階で高層階とは言えないが田舎の為、目の前は開けていて田園と川越の街並みが広がり、その先には遠く秩父の山々が連なり、ここから望める空模様は毎日の愉しみのひとつだ。

連日猛暑が続いた8月もそろそろ秋の気配が近づいているようだ。昨日の雲と太陽は珍しくモノトーンな光景で夏から秋へとバトンタッチするかのような気配を感じた。写真をやっている人は雲や太陽の変化に敏感だが一般の人たちは意外と無頓着だ。せっかくの自然が生むアーティスティックな光景を楽しまないのはもったいない。

プライベートではズームは基本使わない。単焦点オンリーだ。ズームでグリグリやって良いアングルを探すというスケベ心はファーストインプレッションを薄めてしまう。ここは50でとかここは28でと決めてその時のピュアな印象を写し撮ることが何より心地よい。

LEICA M10-P / SUMMILUX-M 50mm f1.4 ASPH.

LEICA M10-P / SUMMILUX-M 50mm f1.4 ASPH.

幸福であること

この夏は主要カメラメーカーの新製品が多くリリースされ、コロナ禍の中、カメラファンにとっては充実した夏になった。特にキヤノンとソニーはそれぞれファン待望の機種が発売になってSNS上ではお互いのファン同士の対決ムードで熱く盛り上がっている。その対決ムードが良からぬ方向へ進むこともある。

新しいカメラが出る度によくあることなのだが最近は高価なカメラが多いので拍車がかかるケースが多々ある。いわゆる作品至上主義の方々の言い分はカメラはあくまで道具で写真を撮る為のもので撮った作品が大事。腕も伴っていないのに高価なカメラの性能や持つ喜びなどばかりに言及することなど本末転倒!と否定的な意見が必ず出てくる。

カメラ志向に対するアンチの意見だがそもそも論として個人の趣味の嗜好を他人にとやかく言われる筋合いは無いし、カメラが大好きということは素晴らしいことだと思う。それについて先日、人気ユーチューバーの「まきりな」さんが語ったことが当然のことだが久々にすっきりして我が意を得た。

氏曰く、趣味の世界で何が一番大切かと言うと「自分が幸せになれること」と。カメラが好きでカメラを愛でることで自分が幸せに感じるならそれが一番、撮影することで幸せに感じるならそれが一番、作品を他人様に見てもらうことに幸せを感じるならそれが一番。人それぞれ顔が違うように幸福感はそれぞれ違って良いのだ。

カメラを愛でることを恥じることなど一切ない。一番大切なことはそのことによって自分が幸福かどうかだ。ちなみに自分のカメラと写真の幸福感の比率だが仕事ではカメラ 1:写真 9、プライベート(=ライカ)ではカメラ 9:写真 1だ。どちらも幸福感は半端ない。文句あります?笑

LEICA M10-P / Thambar 90mm f2.2

LEICA M10-P / Thambar 90mm f2.2

写真の感性

いきなり不遜な言い方だが他人様の写真が自分の写真に直接影響を与えたことは今まで全くない。他の方の作品を素晴らしいとか、美しいとか、上手いなあとか、良いなあ、と感じることはあってもそれが自分自身の写真や人生観などを根本的に変えることは無い。ゆえにそういう意味では写真展に足を運ぶことも少ない。

自分の写真はむしろ写真の世界の外の世界の影響を受けている。構図や色彩は絵画やグラフィックデザインから、光の感じ方や物語性、人との距離感などは映画やステージから、目の前の光景の感じ方は先人の言葉や偉大な音楽や四季折々の自然界の理などから影響を受けている。

これは写真だけでなく一般的に言えることだが発する言葉や態度、生きる姿勢、人生観などはすべて自分の今までの経験値を超えることはない。ゆえに優れた映画や絵画、デザイン、音楽、自然美などで自身のこころが動いたこと、実際に体感することが自分をカタチ創ることだと思う。写真の感性もその土台の上にある。

実はプライベートでの写真を作品と呼ばれることが気恥ずかしい。作品としての写真というものに対しては妙に照れがあって作品性をガチで真剣に語るシーンが苦手。ゆえに自分はいわゆる写真家と呼ばれる人種とは全く別世界に生きていると感じている。大好きなカメラという道具で写真という目に見えるカタチで身の回りの事象を自分が美しいと感じた瞬間を記憶として残すこと。そのことにしか興味がないようだ。そこには他人様の評価は存在しない。

LEICA M9 / SUMMILUX-M 35mm f1.4 @20090925 M9 first shot

LEICA M9 / SUMMILUX-M 35mm f1.4 @20090925 M9 first shot