LEICA Q-P STEALTH?

今更感もあったが所有していたチタングレーのQをQ-Pへチェンジした。すでにモデル末期でQ2も近々発表されるであろうこの時期に自分でも酔狂なことだと思うが控えめなPで好きなレッドスケールがより迫力ある仕上げならば躊躇することは無かった。

手にしたステルス仕上げのQ-Pは予想を超えるマットさ。手や指にわずかに抵抗感があって(最初はザラッとだったがよくよく触るとパウダー感?)こんなライカボディは初めて。一見するとQには見えないほどのダーティーさで自分のキャラと合っていて気に入った。さらに小さな事だがシャッター周りが一新された。この変更はおそらくライカ自身が気付いていたQのウィークポイント。硬い感触の電源スイッチは自分のQでもイラつくことが多かった。

Q-Pを改めて使ってみるとSUMMILUX 28mm f1.7 ASPH.はやはり素晴らしい。単体レンズと比較しても開放時の電子シャッター、短い最短撮影距離、マクロ機能、AFもMFも自由自在。このレンズだけとってもQの価値は色褪せていない。長い付き合いが出来るカメラだ。これほど完成度の高いQの後継機Q2はどんな姿で世に出てくるのか?興味は尽きない。

LEICA Q-P

LEICA Q-P

清く正しく

カルロス・ゴーン氏が逮捕された。ショッキングなニュースだ。真実はまだ分からないがあれほどの報酬を得ていてさらに不正をしてまで金銭を得ようとする彼の本心はどこにあるのだろう?昨今、自分と同世代での不正や理解できない行動をとる人がやたら目につく。いずれも権力も金をも手にし、肩書きも立派な人たちばかりだ。凡人の自分には全く理解できない。

長く生きていると肩書きも立派で経済的にも裕福なヒトに出会う事が少なくない。ヒトは守るものが出来ると強くもなるが弱くもなる。どんなに立派な肩書きを持とうとも、どんなに大金を得ようとも内面は別物だ。今の自分は肩書きや権力や大金とは縁のない世界で生きている。相手を見上げることはあっても見下げることはない。そういう境遇で心底良かったと思う。

ただ、自分も彼らのような立場に居たら不正を行わない自信があるかどうかと聞かれれば100㌫の自信は無い。理想は清貧で生きたいと思っていても口で言うほど容易い事では無い。ヒトが年月を重ねてなおかつ清く正しく生きていく事。それはなんとも難しいものだ。

LEICA M10-P / SUMMILUX-M 35mm f1.4

LEICA M10-P / SUMMILUX-M 35mm f1.4

ワクワク感

しばらく忙しくしていてブログには向かえなかった。何度も書いていることだがこの歳でオファーが頂けることはありがたいことだ。周りに求められているうちは生きていく資格がある。その上、仕事とプライベートで好きな写真とカメラに触れ続けられることはシアワセなことだ。

自分がカメラやレンズに対してココロが動く瞬間はこの道具ならどんな世界が広がるのだろうか?どんなシーンと出会えるのだろうか?あんな時にはこのカメラで。こんな時にはこのレンズで。脳内でどんどんイメージが膨らんでワクワクが止まらなくなる。

ライカのPはプロフェッショナルのP。M9-PもM-PもM10-Pもプロフェッショナルが求める世界に対するライカの答えだ。今回、QにもPが加わった。今までのPとは一線を画すマットブラックのステルス仕上げ。チタングレーと同仕様のレッドスケール。従来のQのシャッター周りも一新され、MやCLと同じ形状でフィーリングも格段に良くなった。

相変わらずライカは魅力的なプロダクトを生む事に長けている。画質やカメラ本体は今までのQと変わらない。ライカ商法にまんまとハメられていることも分かっている。だがいつも持ち歩き、傍らにあるプロダクトはそのデザインでワクワク感が変わる。生きている限り死ぬまでワクワクしていたい。ワクワクのない人生などつまらないものだ。

LEICA Q-P

LEICA Q-P

モノサシ

写真の良し悪しは自分では計り知れない場合がある。

自分が良いと思わなかった写真が他人様からは思わぬ評価を受けたりする。

どれも撮影時にはココロは動くのだけれど自分のモノサシなどタカが知れている。

真っ先にボツにした何の脈絡もない3点。やっぱりう~んかも。

ヘクトールは光の捉え方の良し悪しがストレートに出る。

順光、逆光、サイド光、点光源の有無など、どのシーンも予測が付かない。

このレンズも使い手にとってある意味モノサシである。

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LEICA M10-P / Hektor 73mm f1.9

LEICA M10-P / Hektor 73mm f1.9