驕りと油断

先日のサッカーアジアカップ準決勝の日本対イラン戦、珍しくリアルタイムでフルに90分間観戦した。今回特に感じた事だがアジア最強のイランと格下の日本、試合前から結果は決まっていたような気がした。イランは今回のアジアカップでは5試合で12得点・無失点、5年間アジアでは公式戦負け知らず、誰が見ても圧倒的な強さで評論家たちも口を揃えてイラン優勢と語っていた。

対戦前、イランのケイロス監督は日本のことを偉く持ち上げて表面的にはリスペクトしているように見えていたが実は内心自信満々で負けるはずは無いと、選手たちも同様に日本を警戒しているような発言をしていたが負けることなど露とも思っていなかった気がする。イランは自分たちのサッカーさえすれば勝てると確信を持っていたはず。そこに落とし穴があった気がする。

逆に日本は十分対策を練ってイランのストロングポイントとウィークポイントを選手たちがしっかり押さえて試合に臨んでいた気がする。結果はご存知の通り、やはり相手と対戦するスポーツは自分たちの良さを踏まえつつ、相手のことをよく知った上で臨む事がいかに大切かを痛感した。イランには驕りと油断があったと思う。日本の1点目などその最たる姿だった。

そう言えば全豪テニスの決勝戦、大坂なおみちゃんもあの2セット目が終わった後に勝つ前に勝ったと思ってしまった。相手をリスペクトする事を忘れていた。と後に語った。奇しくも相手のあるスポーツのメンタル面の難しさと臨む姿勢の大切さを改めて感じた試合だった。

LEICA M10-P / SUPER-ELMAR-M 21mm f3.4 ASPH.

LEICA M10-P / SUPER-ELMAR-M 21mm f3.4 ASPH.

来た道

最近、SNSを見ているとQやM10などを入り口にして若いライカユーザーがかなり増えてきたような印象がある。意識高い系の若い人たちが思い切ってQを購入してライカの魅力にハマり、次にM10やM8・M9などに行くというパターン。さらにリーズナブルで古いレンズを手にして現代のレンズには無い柔らかさや繊細さに心を動かされる。そうして本格的にライカにハマっていく。他人事ながらなぜか嬉しい。

その後は経済的に余裕のある人は現行の高価なライカレンズをすぐに手にする。そこまではという人は安価なオールドレンズや国産の手に入れやすいレンズに行く。だが、その後はライカの現行レンズやレアなオールドレンズに行ってしまう。国産レンズにもライカに負けない写りをするものも多い。それでもライカには実際に使った者にしか分からない魅力が大きな口を開けて待っている。

あのユーチューバーのジェットダイスケ氏も昨年暮にとうとうライカを手にした。国産デジタルカメラやレンズについてはユーチューブを通じて多くのインプレッションを拝見していたが、ことライカに関しては距離を置いていた印象だったが自分へのご褒美ということでM10-Pを手にしてしまったようだ。そして予想通りすぐに安価なLズマロン35mmを購入し、α7R3とM10-Pの比較インプレッションを上げている。特にM10-PとLズマロンの組み合わせには早速惹かれたようだ。

ズマロンを入り口にこれから新旧の高価なレンズを手にしていくと思う。今は高価なライカレンズなどとてもとても手が出ませんと謙遜しているがおそらく手にすると思う。それはライカという道に踏み込んだ多くの人が来た道だから。そしてこれから氏がライカへどっぷりハマり、どんなインプレッションを上げ、氏の作品がどのように変化していくか楽しみだ。

LEICA Q-P

LEICA Q-P

ふたつのP

カメラ関係で今年を振り返ると仕事ではEOS-5Dsとα7R3のメイン機材に変わりはなく、レンズも変わりはなかった。現有機材での撮影はパフォーマンス的にも十分過ぎるほどでスチールもムービーもどちらもクオリティの高い仕事が出来た。来年も大きくは変わらないと思う。

ただし、プライベートのライカでは予想外の大きな動きがあった。それまで長年所有していたM9-P、ちょっと太めだが気に入っていたM-P、お洒落なチタングレーのQ、古いけれどモノクロが秀逸なX2、どれも惜しかったが全て処分してM10-PとQ-Pに入れ替わった。

年の初めはこれほど大きな変化があるとは予想もしていなかった。もともとライカは長く使えるカメラなので短期間にこれだけ所有カメラが変わることはあまりなかった。M10-Pはもし発売されたらぜひ手に入れたいと思ってはいたが早くても来年早々かと思っていた。また、まさかQのPバージョンがこのタイミングで出てくるとは夢にも思わなかった。だがやはりPのトレードマークの赤丸無しのエングレーブにはノックアウトされてしまった。

長い目で見ればこれでまた長く使えると思えばよいタイミングだったかもしれない。赤丸ライカが一台も無くなってしまったのは初めてのことだが、普段持ち歩くのに出来るだけ目立ちたくない志向が年々強くなっているのでふたつのPは良いセレクトとなった。今年も大過なくライカと付き合えたことはシアワセなことだ。来年も変わらず仕事にプライベートにカメラとの充実したお付き合いができることを願いたい。

RX100M6

RX100M6

試金石

最近、友人が現行レンズ前のNOCTILUXを使い始めた。NOCTILUXというとf1.0という人間の目に近い明るさを持つレンズとして有名。今更感はあるがやはりライカ使いとしては一度は体験したいレンズだ。気持ちはよく分かる。自分も昨年売却するまで10年ほど使用してきた。常時使用できるようなレンズではないが唯一無二のレンズであることは間違いない。だが扱いはなかなかにデリケートだ。

このレンズを手にしたらf1.0を使わなければ全く意味が無い。f4やf5.6などの写りが秀逸と語る御仁なども居るがそれでは意味が無い。ただ、そこがノクチの落とし穴、f1.0のボケばかり追うようになり、まともな写真にならなくなる。よほど狙いをしっかり持たないとノクチの罠にはまる。それでも使い手の高揚感は半端ない。ゆえに数多あるライカレンズの中でも魅惑的なレンズナンバーワンだ。それ故にみな憧れるのかもしれない。その友人はなかなかの使い手なので名作を期待したい。

ところで、自分が手放した理由はSUMMILUX-M 50mm f1.4 ASPH.Black Chromeの存在だ。同じ50mmで明るさはわずか0.4の違いだがその性格は全くの別物。新旧の違いはあるがSUMMILUXの方が圧倒的に使いやすく写りも優れている。初代デザインをモチーフにブラッククローム仕上げのスタイルもプラスアルファの魅力でこれ一本あればノクチは必要ないと思わせてくれた。ひと言で言えば「NOCTILUXはSUMMILUXがいかに優秀で稀有の存在かを再認識させられるレンズ」と言える。自分にとってNOCTILUXはSUMMILUXの為の試金石となったレンズだ。

ライカレンズは本当に奥深い。こういった経験を経てこないと個々のライカレンズのさらに奥の真価は見えてこない。しかもその道程は螺旋階段のごとく、オールド、モダン、オールド、モダンとグルグル回って深みにはまる。もちろん経験せずとも個々の魅力は十分享受できるがユーザーそれぞれが深度の違う魅力を感じられるのが「沼」と言われる由縁かもしれない。

LEICA M10-P / SUMMILUX-M 50mm f1.4 ASPH.

LEICA M10-P / SUMMILUX-M 50mm f1.4 ASPH.