令和へ

本日は平成最後の日。

そういう呼び方が色々なところでブームのように叫ばれていていささか辟易としている。元号が変わるだけでお祭り騒ぎはいかがなものか?天皇陛下が様々な問題をご提示されてご英断を持って退位される。国民も政治家も陛下のお気持ちを真摯に受け止めて今後の日本と皇室の問題を真剣に考えていくべきだ。特に女系天皇問題はこれ以上先延ばしすべき問題ではない。

自分はガチガチの昭和生まれ。平成に元号が変わったときのことは鮮明に覚えている。会社員時代、在籍した会社が古くから宮内庁の仕事もしていた。その為、昭和から平成へと変わる当時は大喪の礼と即位の礼の式典準備で多忙にしていた。あれから30年!光陰矢の如しだ。

川越には江戸だけ?でなくまだまだ昭和も残っている。地元では田舎の伊勢丹と呼ばれる老舗の丸広百貨店、その屋上遊園地。たまに昭和の空気を感じに訪れる。令和になっても残して欲しい光景だ。

追記
今年の9月1日をもって屋上遊園地「丸広百貨店わんぱくランド」は閉園。51年の歴史に幕を下ろす。百貨店自体の耐震工事の為で致し方ないとのこと。残念。

LEICA M10-P / SUMMARON-M 28mm f5.6

LEICA M10-P / SUMMARON-M 28mm f5.6

プロのカメラマンとは?

今やデジタルカメラやスマートフォンのカメラ機能が進化して誰でもがカメラマンになれる時代。SNSやブログを通じてプロになってしまう人やインスタから世界へ飛び出る人などアマチュアプロ?として様々なスタイルが生まれている。しかし、本来のプロとは?と本質的な部分で疑問を感じることが多々ある。

プロカメラマンとは端的に言えば依頼主=クライアントの要求に応え、限られた予算、定められたスケジュール、多種多様な現場の条件、その中でクライアントが望むイメージを提供できること。その事に尽きる。そのためには当然ながら撮影技術はもちろん、ある一定以上のクオリティも必要だ。

だが、今は世間一般的に言えば目に見える部分だけの写真が上手いか下手かだけで判断されがちだ。だがそれは氷山の一角なのだが腕に覚えのあるアマチュアほど隠れた部分が見えていない。好きなときに好きなカメラで好きなように写真を撮る事などプロの現場ではまず無い。

撮るべき被写体の世界に精通し、クライアントや多くのスタッフと良好なコミュニケーションを持ち、きちんと予算とスケジュールを守り、クライアントの要求を上回るクオリティのイメージを提供できるかどうか、つまり撮影技術や写真を仕上げるセンス以外の要素も重要になってくる。この点がプロとアマとの決定的な違いだ。

付け加えればプロの世界は結果が出なければ次の仕事はない。アマチュアは結果が出ても出なくて自分自身の中だけで完結できる。ある意味お気楽な世界だ。本当に実力があるプロの見分け方。それは仕事が継続しているかどうかだ。実力が認められていなければ仕事の依頼が続く事は無い世界だからだ。

さらにプロとして様々な条件をクリアしても実は最も大切なものがある。それは人としての誠実さ謙虚さだ。これはなかなか目には見えないものだが成功しているプロは必ず備わっているものだ。

LEICA M10-P / SUMMARON-M 28mm f5.6

LEICA M10-P / SUMMARON-M 28mm f5.6

対話

赤ズマロン。なんとロマンチックな呼び名。その昔Ⅲcとヘクトール28mmを所有していた頃、Lマウントの赤ズマロンは憧れだった。デジタルのM型になって何度か手にしたいと思ったが良い玉になかなか出会えず、それ以来、心のどこかにひっかかっていた。2016年に赤ズマロンがMマウントで復刻!という朗報?にこんなことはやはりライカにしか出来ないことだと驚いた。

赤ズマロンMはオリジナルズマロンの基本設計は変えずに新たなコーティングや細部のレンズデザインをリファインし、現代の赤ズマロンとして生まれ変わった。f5.6というスペック、対称系レンズのメリットと引き換えに周辺落ちというデメリットなど合理的な国内メーカーでは企画すらできないだろう。それをクセのある当時の描写のままに復刻するのはさすがにライカだ。

Q-Pの28mmと赤ズマロンMの28mm。これほど写りに差があるともはや同じ28mmを所有しているイメージは無い。Q-Pは例えればアルプスの天然水、常に清清しい絵が得られ、開放のボケの美しさは素晴らしい。対して赤ズマロンMは芳醇なワインのようで絵に艶と色気があり、周辺落ちとまろやかな解像感が何とも言えない立体感を生み出している。

SUMMILUXとSUMMARON。この異なる28mmを通して改めてライカレンズの妙とはそれぞれのレンズとの対話が存在することだと感じる。現代のミラーレスレンズでは体験できない強烈な個性との対話。それらを通して被写体に対峙するというライカならではの体験は一度経験すると優秀だが無個性な現代のレンズでは物足りなくなる。

LEICA M10-P / SUMMARON-M 28mm f5.6

LEICA M10-P / SUMMARON-M 28mm f5.6

機材なんてなんでもいい?

「機材なんてなんでもいい」「写真の良し悪しは機材じゃない」

とかくよく聞く言葉だ。果たしてそうだろうか?写真は機材があって初めて成立する世界だ。様々なカメラやレンズがあるからこそ人それぞれの感じ方と表現が存在する。この手の発言には自分の写真は機材に左右されるようなケチな写真ではないという傲慢さが潜んでいるとしか思えない。

写真とは被写体があってこそ、機材があってこその世界だ。決定的瞬間の作品を自分がモノにしたという態度の写真家が居るがそれは大きな勘違いだ。写真とはいくら自分に能力があっても機材や被写体、そしてそこに立ち合わせてもらった運がある。そういう自分以外のコトやモノに対する敬意と感謝の気持ちが無ければ作品などと呼ぶのはおこがましい。

自分のブログは機材名を明記している。R-D1から始めたブログ当初から機材名を明記するようにしている。人によっては何の目的で機材名を明記するのか?自慢して何になるのか?写真の本質とは全く関係のないことだ。とバッサリ切り捨てて、自分はそんなことに関係なく作品を残しているという態度の御仁もいる。それは自分には出来ない。機材に申し訳ない。

このブログで機材名を明記しているのは機材自慢でも機材情報の提供のためでもない。自分自身の機材に対する愛情と感謝の気持ちからだ。仕事を通じて機材にも魂は宿ると感じている。そうして接しなければ良い瞬間には出会えないと信じている。機材に拘ったからと言って必ずしも名作が生まれる訳ではないが少なくとも優れたフォトグラファーたちはみな機材にも特別な拘りとリスペクトがあったはずだ。

撮らせて頂いている機材に愛情を持たずに何が作品か。

LEICA M-P / Thambar 90mm f2.2 @Kakunodate20170424

LEICA M-P / Thambar 90mm f2.2 @Kakunodate20170424