FUKUSHIMA50 & 1917

昨日はFUKUSHIMA50と1917をダブル鑑賞。

まずFUKUSHIMA50。3.11での福島第一原子力発電所で起きた事故の模様をかなり詳細に描写している。当時はこれほど悲惨な状況とは知らず、今でもここまで危険が迫っていたのか?と、観ていて恐ろしくなった。と同時に一歩間違えば本当に東日本は滅んでいたかもしれない事実に驚く。

この映画では現場の犠牲的・献身的かつ奇跡的な対応が日本を救ったという切り口なっていて、渡辺謙や佐藤浩市の俳優陣がさすがの演技を見せている。事実も全くその通りだったらしいが当時の官邸と東電本社の事実描写には異論もあるようだ。ただ、それを差し引いてもあの悲惨な原発の内部をよくここまで描けたものだと驚いた。今現在、危機管理能力が問われているこの国の状況の中、この映画は示唆的で複雑な心境になる。

1917はストーリーとかテーマとかなどはすっ飛んでしまうほどのカメラワークに驚愕する。映画の冒頭から最後のシーンまで全編ワンカット?(正確にはVFX技術で繋いでいるのだが)の映像で新たな映画体験の世界に引き込まれる。自分も撮る側なのでこの撮影の凄さには最初から最後まで目が釘付けになった。今の最新の機材と技術がなければ実現しなかった映画だ。

ワンカット映像というのは観ている側も主人公と同じ目線・同じ時間軸の中でストーリーが進行するので制作者側のある種の意図や意思はあまり前面に見えてこない。スクリーン上には自分目線の画角しか見えない故、見えていないシーンやその先のシーンに恐怖を感じることも多々あった。言わば戦場での兵士たちと同じ恐怖感を感じながら進行する。これは初めての体験だった。

どちらもノンフクションだが今の技術で描くことによってよりリアルな体験となり、今までは作り出せなかった世界が生まれている。奇しくもこの二作に込められたメッセージは悲惨な史実を後世に伝える役割を担っている。そんなメッセージで締めくくられている。

LEICA M10-P / Super-Angulon 21mm f3.4

LEICA M10-P / Super-Angulon 21mm f3.4

車窓越しの訓練

撮影の為の出張は多い方だと思うが特に新幹線での移動が多い。数年前から新幹線移動はグリーン車と決めている。最近では新型コロナウィルス対策で少しでも感染確率を下げる為にもグリーン車の方が安全だ。他にも機材の安全、自分自身の疲労軽減等、何より撮影データの安全は一番の優先事項だ。

そういう意味では仕事で出張に出る場合は寄り道もしない。特に帰りは絶対に事故があってはならない撮影済みのデータがある。無事に自宅のHDDに保存するまで仕事は終わらない。そんな出張ゆえ、様々な街を訪れるがその土地のことはとんと疎い。現場とホテルと駅と新幹線移動でほぼ終わってしまう。

残念に思う時もあるが束の間の息抜きは車窓からの光景。流れる車窓の光景を眺めているとゆるりとリセット状態になる。そこで徐にライカを取り出しスナップ。出張には必ずライカを持って出るが車窓からのスナップは難易度が高い。とあるカメラマンがSNSでこれを訓練と称していたがなるほど・・・

何も考えずにシャッターさえ押せば良いという訳ではない。高速で移動するのぞみの車窓の中の来たるべき瞬間に反応し、ここぞというシーンを予測するということは確かに日常の仕事の中でも役に立つ。物事は考えようで学ぶ場はどこにでもある。

LEICA Q-P

LEICA Q-P

23mm vs 28mm

X100Vの発表時にはかなり食指が動いたことは書いたが今のところ留まっている。笑 X100Vのレンズは23mmF2。APS-C換算で35mmf2に相当する。それに対して我がQ-Pのレンズはフルサイズの28mmf1.7で35mm枠でクロップして35mmf1.7相当になる。35mmとして比べればほぼ同等の性能になる。ところがそう単純ではない。

センサーサイズを無視して比べると元々のレンズ焦点距離はX100Vは23mmF2でQ-Pは28mmF1.7。これは意外と違いがある。遠景での差はそれほどではないが被写体までの距離が近ければ近いほどパースとボケ量に差が出る。これは現代では意外と無視されているが、昔からのカメラ使いは23mmと28mmの違いは歴然とあるのは分かっている。

35mmの焦点距離として単純に比較すればX100VとQ-Pにはやはり差があり、Q-Pの方が自然な描写でボケ量も多くフルサイズらしさがある。ついでに言えばファインダーもX100Vのファインダーと比べ、35mmクロップ時の美しいブライトフレームが浮かぶQ-Pの方がよりレンジファインダー感がある。もともとX100系のOVFは好みではないこともあってEVFとは言えQ-Pのブライトフレームはライカのオリジナリティを感じる。

カメラスタイルとしてはX100Vはデザインが秀逸で格好が良くかつコンパクトで魅力的だが、Q-Pを一旦使うとやはり写りの良さと使い勝手、プロダクトとしての魅力など格の違いを再認識する。発売から実質5年近いカメラだが使っていて古さは微塵も感じない。ということでX100Vは見送り、Q-Pを今まで以上に愛していこうと思った次第。我ながら大人になったものだ。笑

LEICA Q-P 35mm crop

LEICA Q-P 35mm crop

ミラーレス時代のキヤノン一眼レフ

今週は週の初めから撮影が立て込み、週末は名古屋と岡山の出張が続いた。そんな撮影仕事が出張を織り交ぜながら量的にオーバーフロー気味になると機材への依存度が上がってくる。現在の仕事用のカメラはキヤノンのEOS5Dsがメインで、ソニーのα7R3が二台、動画専用にα7S2が一台という体制だ。これがここ数年続いている。仕事用カメラは趣味用とは違い、目的がはっきりしているからただ新しいとか画素数が多いとかという単純な理由だけでは変えられない。

仕事では趣味とは違う次元の要求が多々ある。特に現場ではスピードと確実性が一番大切になる。最近はミラーレス機が主流になり、一眼レフの時代はもう終わった感が強い。しかし、実際に現場で使用している印象は異なる。確かに自分もいち早くソニーのミラーレスを導入し、使用目的によってはメイン機となる。だがしかし、現場でのフィーリングは違う。

キヤノンはニコンと共に一眼レフの歴史を築いてきた。ミラーレス全盛の今もその蓄積はそう簡単に崩れてはいない。咄嗟の場面での操作フィーリングはキヤノンに一日の長がある。EOS5Dsの使用方法は100%三脚にセットし、中判カメラ的な使用が前提になるが、このフィーリング、言葉では伝えにくいがシャッターフィーリングや指先に伝わる感覚、こちらが期待する結果の確実性など目には見えないがプロが要求するフィーリングへの応答性が確かに違う。

新しい機能が新しい表現を生むことはソニー機を使ってみれば分かる。ソニーの先進性や機能の豊富さは特筆すべきものだが、あまりにもコンパクトにしたがゆえの弊害でインターフェイス、特にボタンやメニュー操作が現場でこちらの要求するスピードや確実性についてこれない場面がある。また、あってはならないことだが稀に挿し込み方によってSDカードを認識しないことやバッテリーマネージメントなど電気系統の危うさなどは依然として存在する。

翻って、キヤノンにはそういったことは一切ない。機械的・電気的なトラブルはほぼ皆無だ。ゆえに信頼性という面でもまだまだキヤノンの一眼レフは仕事から外せない。残念なことは今後、EOS5Dsの実質的な後継機が期待できないということ。理想を言えばEOS5Dsのフィーリングと画素数を継承しつつ、高感度画質と処理スピードがさらにブラッシュアップしたモデルがあれば言うことは無い。

LEICA Q-P

LEICA Q-P