People in Umeda-Never Again,2021 Autumn

先週22日、翌日に阪神百貨店梅田本店での早朝撮影の為、前泊で最寄りのホテルにチェックイン。現場へのルートを確認した後、周辺を少し散策した。JR大阪駅北口周辺地域は現在、開発が急ピッチに進んでいて二階ペデストリアンデッキから望む光景はエキサイティングな光景になっている。

祝日前日の帰宅時の時間帯だったせいか多くの通勤客が行き交い。電車とバス、車のトラフィックなどが開発中の光景と相まって魅力的なシーンに映った。ふと考えるとここに居合わせた人々はこの時間には二度と行き交うことがない瞬間のはずと思うとその瞬間を残したい衝動に駆られた。

EOS R6のムービー性能は多くは語られていないがSONYのα7S3に勝るとも劣らない性能だ。α7S3と同様に優れた高感度性能と忠実な再現性を持つ背面液晶とファインダー、強力なAFと手振れ補正で夜間の手持ち撮影でブレの無い美しい映像が撮れる。

特にRF50mmF1.2Lとの組み合わせは素晴らしい。RFシステムの中でもダントツに評価が高いこのレンズの凄さは開放F1.2からF5.6、F8当たりまで絞っても画面の均一さとシャープさが全く変わらないこと。つまり開放F1.2での常用撮影が可能だということ。

この映像では分かり難いが65インチの4KTVで再生した4K映像は息を飲む。全てのカットがF1.2での撮影だがとても開放F1.2の写りとは思えないほど遠景から近景まで全く破綻が無く、ボケ味も文句の付けようがない。発表時にキヤノンの開発陣が自信を持って推奨していたレンズであることに改めて納得だ。

以前にも何度か書いているがテクノロジーの進化は表現の幅を大きく広げる。コンパクトなミラーレス一眼で昼夜問わず、開放F1.2の明るさで美しい4K映像が手持ちでブレずに撮影出来てしまう。ちなみにこの映像は写真で言えば撮って出しのJPGでRAWでもlog撮影でもなく、EOSのピクチャースタイルのオートで編集時にも色補正その他は一切していない。

写真でも言えることだがキヤノンのデフォルトの色は本当に美しい。Rシステムになってさらにブラッシュアップされている。それはムービーでも同様でつい最近までSONYをメインに使用していた自分からするとキヤノン恐るべしと言わざるを得ない。

視聴パスワードはJLMV

追記:改めて4K版もアップした。画面右下の設定の画質を4Kで出来ればフルスクリーンで。

EOS R6 / RF50mm F1.2L USM / FHD / music : lamb-of-god by salt-of-the-sound Artlist

EOS R6 / RF50mm F1.2L USM / 4K / music : lamb-of-god by salt-of-the-sound Artlist

悲しみがふつふつと・・・

8/8、東京オリンピックが終了した。事故も無く、災害にも見舞われず、無事に終えたことにホッとしている。おかしな言い方だがケチが付きまくっていた今回のオリンピック、最後に何か大きな災いが起こるのでは?と危惧していたが杞憂に終わった。

アスリートたちの大活躍には毎日こころ踊らされ、無観客にも関わらず、そのパフォーマンスは素晴らしかった。コロナ禍での開催には賛否あったが自分はオリンピックの開催自体は招致したからには世界の国々に対して開催義務があり、かつこのオリンピックに人生をかけた世界中のアスリートたちにも大きな責任があると考えていた。

もしも国内の世論に押されて中止の判断をした場合、日本はこの先オリンピックの開催資格を失っていた可能性もあったと思う。それはこの国の子供たちから将来の大きな夢を奪うことになっていたと思う。目先の感染者数を理由に漠然と開催反対を唱える反対論者がそこまで考えを及ばせていたとは思えない。

今回のオリンピックは今までにない形のオリンピックになったが世界に対して少なくとも最低限の義務は果たし、かつそれ以上の成果もあって意義ある大会になったと思う。もちろん現在のオリンピックの開催形式には大いに異論はあるがそれはまた別問題だ。

残念だったのは開会式・閉会式の演出にケチをつける人が多かったこと。元裏方側の人間として思うこと。コロナ禍による一年延期、限られた予算、そして無観客での運営等々、これだけ多くのハンデを背負っての世界的イベントのセレモニーは誰も経験したことがない。裏事情には人為的なものもあったが現場のクリエイター・スタッフたちはこの困難の中、本当によくやったと思う。彼らには大いに拍手を送りたい。

ただし、招致から8年、長期間に渡って準備を労してきた大会関係者たちの無念さ、厳しい環境下で黙々とボランティアに徹したスタッフ、自国開催にもかかわらず自国の応援も叶わなかったアスリートたちの家族と国民、おもてなしを準備していた人々は日本の魅力を伝えることも出来なかった。それらを想うと無念でならない。

もう高齢と言える自分にとって自国開催で直接肌で感じられるオリンピックを体験できる最後の機会が失われてしまった。この先、もし再び日本でオリンピックが開催されたとしても体験できることは叶わない。悲しみがふつふつと湧いてきて止まらない。

東京2020オリンピック

今日はオリンピック開会式の日。東京では57年ぶりのオリンピックの開催。本来ならば一生に一度経験できるかできないかの感動のオリンピックになるはずだった。何の因果か呪われた大会になってしまった。日本には何の罪もないコロナ禍、延期による組織委員会のポンコツぶりの露呈、IOCの変わらぬ金満・傲慢体質などなど悪い情報しか耳に入ってこない。

組織委員会の現場レベルには自分の後輩や知人も出向していて彼らの心情を想うと複雑だ。ここ数日は何とも悲しくて腹が立って仕方がない。今回の組織委員会の問題は現場レベルにあるのではなく上層部の無責任と無知と古い体質、そして時代錯誤が最大の理由だ。いわゆる古い体質の組織にはよくあることだ。奇しくもそれがあぶり出されてしまった。

今のところ開会式は予定通り行われ、その後の競技もほとんどが無観客ながらスケジュール通り行われる。無観客とは言え、世界最大のスポーツの祭典、通常でもその運営の困難さは素人では想像すら出来ない。それに加え、コロナ禍の感染対策や猛暑対策等、現場レベルでの運営スタッフの苦労は大変なものがある。関係業界に居るものとして何とか大禍なく終わることを願っている。

先ほどブルーインパルスがオリンピックの成功を祈念して東京上空を飛んだ。生憎の雲と冬の快晴のようにはいかない為、五輪のマークははっきりとは確認できなかったが五色のスモークを残しながら都内の要所を飛んだ姿には感動した。五輪マークよりも多くの人々の目に留まってこちらの方がオリンピックに相応しい。自分の記憶にもその姿ははっきりと残った。

今日からは余計な雑音はシャットアウトしてアスリートたちだけを見て精一杯応援するつもりだ。何と言ってもオリンピックの主役は彼らアスリートたちなのだから。そして彼らを支える現場のスタッフたちにもエールを送りたい。

LEICA M10-P / SUMMARON-M 28mm f5.6

LEICA M10-P / SUMMARON-M 28mm f5.6

感性のプロセス

自分が関わっている空間撮影はその空間をデザインしたデザイナーが持つ雰囲気やデザインコンセプト、関わったスタッフの熱量、空間が持つ空気感、パワーなどスタッフや現場で直接感じるフィーリングが最後の仕上げに大きく影響する。それは目には見えないが言わば「感性」のプロセスだ。

フリーランスにとってオファーを頂かなければ何も始まらないが、依頼者側の依頼の仕方でこちらのマインド=感性が変わってくる。自分を正しく評価して頂き、信頼した上でのオファーは本当にありがたい。だが他のカメラマンの手配が出来なかったことが感じ取れたり、いの一番に費用を尋ねてくるケースなどはその後の仕事に繋がることは少ない。

お互いのリスペクトと信頼、これがすべてのベースになる。費用は大切だが最も重要なことはそこではない。こちらを評価した上でこちらのやり方を尊重してオファーを出してくれる時、そもそもオファーとはそういうものだと思うが・・フォトグラファーとクライアントとの関係はたとえそれが初めての依頼でもその関係性さえベースにあれば良い結果に繋がる。

良い仕事にはお互いの良きコンタクトから生まれる「感性のプロセス」が無くてはならない。それを感じとれる人との仕事は貴重だ。その場合は金額は二の次なる。コロナ禍の中、オファーは徐々に戻りつつあるがまだそう多くはない。そんな中でも「感性のプロセス」を感じさせてくれる仕事は100%以上の結果を残したくなる。