ライカの魅力

昨夜はライカ繋がりの旧知の友人たちと美味しいイタリアンのお店で久しぶりに楽しい時間が持てた。ライカ好きが集まると話が尽きない。ライカは人を繋ぐ魅力がある。自分のライカや他人様のライカの話でエンドレスだ。他のカメラではこういうことはあまりない。単なるブランド力とは違う何かが人を繋げ、広げる。不思議な世界だ。

最近の若者のライカに対する印象も面白い。デジカメウォッチの若い編集者、確かM(Type240)からのユーザーのようだが今はM10を所有していてそれを評して「古いフィルムカメラっぽいけど背面を見たらデジタルカメラというユーモアは随一」と。おそらくM型以外のラインアップ、SLやTが現代風デザインを踏襲している上に過去のM型体験が少ない若者にとっては現代のM型デジタルはクラシックなものに写るのかもしれない。

我々旧いライカ人類から見たライカとは今も昔もM型ライカのことだ。中身がフィルムからデジタルに変わってもシンプルで普遍的なカメラ。古今東西のL・Mマウントレンズも変わらない。特にクラシックカメラという概念はあまりない。そんなライカはこれからも人を繋ぐ魅力に変わりはないだろう。ライカに出会っていなければ出会わなかった方々ばかり。そして出会わなかったシーンばかり。ライカは素敵な出会いを呼ぶカメラだ。

LEICA M-P / Thambar 90mm f2.2

LEICA M-P / Thambar 90mm f2.2

Thambar with SONY

ブログでは出来るだけライカボディとライカレンズの組み合わせで残したい。しかし、こと撮影ということになるとライカボディでは厳しい局面も多々ある。微妙な光の中での細かいピント合わせや動きもの、咄嗟の場合などがそうだ。数年前からSONYのα7を使っている。α7はタイプ2からでSとRを専ら仕事で使っている。手持ちの仕事やストロボ撮影、ポートレイトなどはもはやα7の独壇場だ。

今やライカの周辺でもα7の存在は無視できない。個人的にはライカで残すことイコールライカレンズで撮ることと同義と考えている。厳密に言えばライカMデジと画質は異なるものだが、写真はレンズで決まるというかつてのツァイスの宣伝コピーは今でも真だと思っている。ましてライカボディで撮れなければ撮らないと断言できるほど達観できていない自分としてはライカレンズで撮れるのならばフルサイズのα7は歓迎だ。

α7系で撮るオールドレンズは面白い。ファインダー像がそのレンズの特色を素直に写しだしている。特にこのタンバールなどは絞りの変化が如実に写し出されていていわゆるハズレが少なくなる。実際の写りをEVFで確認しながら確実に撮れるということはテクノロジーの恩恵だ。逆に昔のフィルム時代のM型でこのレンズをマスターしようとしたならば膨大な時間と労力が要る。かつてのライカ名人たちは尊敬に値する。

様々なレンズを楽しみ、効率良くマスターするという意味では本当に良い時代だ。気紛れなウチの愛猫たちにもSONYはマストだ。これからはMマウントのニュータンバールなどもきっと多様な使われ方をされるのだろう。

α7S2 / Thambar 90mm f2.2

α7S2 / Thambar 90mm f2.2

復刻レンズ

あのタンバールが復刻されて今月発売となる。ズマロン28に続いて復刻シリーズ?として再び世に出る。ライカのオールドレンズが復刻されることに心情的には一抹の寂しさと残念さ、ほんのちょっぴりの期待が入り混じっている。

数多あるライカオールドレンズたちにはそれぞれレジェンドがある。特に70年以上前に生まれたレンズたちには当時の姿や写りが現代では計り知れないとうところに独特のロマンやヒストリーを感じる。それが最大の魅力でもあった。それがブランニューとなって目の前に現れることに私のような旧いライカ人類には違和感を感じ得ない。

銀座のスタッフによると新しいタンバールは残っていた設計図から当時のタンバールそのままに作られるらしいがレンズのガラス素材は違ってくるから厳密に言えば写りは違ってくるはずだ。ただ、設計当時の本来のタンバールの写りというものがどんなものだったのかは興味津々ではある。順番から言えば三番目の復刻はこのヘクトールあたりになるかもしれない。それだけは勘弁して欲しいというのが本音だ。

LEICA M-P / Hektor 73mm f1.9

LEICA M-P / Hektor 73mm f1.9

遺影写真

母親が亡くなり、家族だけのごくごく内輪の葬儀が終わった後、撮影仕事が続き、今まで10年以上風邪も引かなかった私が仕事が落ち着いた直後から大風邪を引いて体調を崩してしまった。やはり親の死とは心身ともに影響は大きいものだ。まだ、体調の方は全快とはいかないが徐々に快方へ向かっている。

普段からライカを持ち歩き、母親の施設に行くときも必ずライカで母親を撮っていた。数年分の母親の写真がある。その中から母親らしい一枚を選び、葬儀の遺影写真として使った。同じものをLサイズに出力し、木製の写真立てに納めて妹と姪っ子たちにプレゼントした。

亡くなる2年前に撮ったいつもの穏やかな母親で、頬杖をついてリラックスした自然体の表情。今にも話しかけてくるようで自分でもお気に入りのカットだ。プレゼントした妹や姪っ子たちにも思いの他喜んでもらい、妹などは毎朝写真の母親に話しかけて返事が返ってくるようで本当にありがたいと言ってくれた。

自宅でも葬儀で使用した四つ切サイズの写真をリビングのテーブルの上に置いてある。今でもそこに居るような感覚でやはり相方ともどもついつい話しかけてしまう。その人の人柄を写した最高のポートレイト写真を遺影として残しておくことは大切な事だ。亡くなった後でも生きているようで悲しさよりも感謝の気持ちが湧き上がってくる。

常にライカを持ち歩いて自然体の母親を残しておいて良かったと思う。

LEICA M9-P / SUMMILUX-M 35mm f1.4 (遺影)

LEICA M9-P / SUMMILUX-M 35mm f1.4 (遺影)