M10-P雑感

M10-Pがリリースされて早4ヶ月。M10が爆発的に売れたせいかネットではM10-Pの所有率はそれほど高くない印象。ただ、私の周りの所有率はかなり高い。分かっているだけでも3名のオーナーが居る。おふたりはM10からの乗り換え、おひとりはたぶん?買い直したばかりのQを早々に売却してのM10-P。やはりM10-PはM10とは似て非なるものなのか。

ところでM10もしくはM10-Pのオーナーの中で現行あるいは一つ前のSUMMILUX-M 35mm f1.4 ASPH.の所有率が特に高いような気がする。自分は今は所有していないが以前は現行の一世代前のシルバーを所有していた。写りは全く文句はなかった。が、いかんせん大きく重い。シルバーだったせいか余計に重く感じた。ついつい球面のSUMMILUXを手にしてしまい、出番が無くなってサヨナラした。

いつかまた手にしたいと思う時もあるが現行も一世代前のものも簡単に買えないほどの高価なレンズになってしまった。ライカレンズの高騰ぶりは相当クレイジーな自分でも付き合いきれなくなっている。しかもM10-Pを使うようになってからは球面ズミとこのヘクトールの出番が多い。結局、オールドレンズばかり手にして現行のライカレンズの出番は少ない。新たに現行レンズを手にしても使わず仕舞いになりそう。そう考えると今所有のレンズで十分足りる。人間、足るを知ることこそが大切だ。随分と大人になった。

LEICA M10-P / Hektor 73mm f1.9

LEICA M10-P / Hektor 73mm f1.9

CAMERA HOLICS

所謂ライカ本の類は世に多く出ていて内容は似たり寄ったりの場合が多い。そう言いながら同じような内容のライカ本が自宅には山ほどある。ライカという響きには理屈向きに弱い。つい先日、Camera Holicsというライカ本が出た。「なぜライカなのか?ライカで撮る7人の理由」というタイトルに惹かれて購入した。

どうせ同じような内容なのでは?と思いつつ、昨日の日曜日、朝から一気に読んでしまった。7人のプロカメラマンたちがなぜライカで撮るのか?という理由を機材の紹介と共に語っている。その中で自分の琴線に触れた言葉を抜粋して書き残しておこう。共感を覚え、含蓄に富んだ言葉ばかりだったので。

ハービー山口氏曰く
「世界中の写真家がそれぞれの写真に込めた思いは、いつか平和を願う大きなメッセージのうねりとなって世界を導いていくのではないでしょうか。従ってカメラは世界で一番平和な道具の一つなのではないだろうかと、少なくとも私はそう信じています」

萩庭桂太氏曰く
「フォトグラファーとしての人生というよりも、ただただひとりの人間としての人生から見ている景色や光景。その光景をカメラで記録している感じが、とても気に入っている。ライカしか使わなくなってしまったのは、そのためだろう」

小林幹幸氏曰く
「ライカは人生を記録するカメラではないか。これが僕がライカに対する思いであり答えなのだ。仕事カメラは他人のための写真を撮る写真機、反対にライカは100%自分のための写真を撮る写真機なのだ。だからライカは面白いのだと思う。ライカこそ人生なのだ」

LEICA M10-P / SUMMILUX-M 35mm f1.4

LEICA M10-P / SUMMILUX-M 35mm f1.4

LEICA Q-P STEALTH?

今更感もあったが所有していたチタングレーのQをQ-Pへチェンジした。すでにモデル末期でQ2も近々発表されるであろうこの時期に自分でも酔狂なことだと思うが控えめなPで好きなレッドスケールがより迫力ある仕上げならば躊躇することは無かった。

手にしたステルス仕上げのQ-Pは予想を超えるマットさ。手や指にわずかに抵抗感があって(最初はザラッとだったがよくよく触るとパウダー感?)こんなライカボディは初めて。一見するとQには見えないほどのダーティーさで自分のキャラと合っていて気に入った。さらに小さな事だがシャッター周りが一新された。この変更はおそらくライカ自身が気付いていたQのウィークポイント。硬い感触の電源スイッチは自分のQでもイラつくことが多かった。

Q-Pを改めて使ってみるとSUMMILUX 28mm f1.7 ASPH.はやはり素晴らしい。単体レンズと比較しても開放時の電子シャッター、短い最短撮影距離、マクロ機能、AFもMFも自由自在。このレンズだけとってもQの価値は色褪せていない。長い付き合いが出来るカメラだ。これほど完成度の高いQの後継機Q2はどんな姿で世に出てくるのか?興味は尽きない。

LEICA Q-P

LEICA Q-P

清く正しく

カルロス・ゴーン氏が逮捕された。ショッキングなニュースだ。真実はまだ分からないがあれほどの報酬を得ていてさらに不正をしてまで金銭を得ようとする彼の本心はどこにあるのだろう?昨今、自分と同世代での不正や理解できない行動をとる人がやたら目につく。いずれも権力も金をも手にし、肩書きも立派な人たちばかりだ。凡人の自分には全く理解できない。

長く生きていると肩書きも立派で経済的にも裕福なヒトに出会う事が少なくない。ヒトは守るものが出来ると強くもなるが弱くもなる。どんなに立派な肩書きを持とうとも、どんなに大金を得ようとも内面は別物だ。今の自分は肩書きや権力や大金とは縁のない世界で生きている。相手を見上げることはあっても見下げることはない。そういう境遇で心底良かったと思う。

ただ、自分も彼らのような立場に居たら不正を行わない自信があるかどうかと聞かれれば100㌫の自信は無い。理想は清貧で生きたいと思っていても口で言うほど容易い事では無い。ヒトが年月を重ねてなおかつ清く正しく生きていく事。それはなんとも難しいものだ。

LEICA M10-P / SUMMILUX-M 35mm f1.4

LEICA M10-P / SUMMILUX-M 35mm f1.4