LEICA M10-P

発売日に手にするのはM9以来だ。M型デジタルのPと言えばブラックペイントがお決まりだったがM10-Pはなぜかブラッククローム仕上げだったため少々迷った。発売日前日にショップに行く機会があり、実際にシャッター音に触れてそんなことは一瞬で吹き飛んでしまった。デジタル世代のユーザーたちは違う印象だろうがフィルムライカ世代にとってこのシャッター音は懐かしいショックだった。あのM型ライカが戻ってきた!そんな印象だった。

そのシャッター音だが音自体は限りなく静かだが手に伝わる心地よいショックが今までに無い感触。ちょうどフィルムのM7の感じ・・・と思い込んでいたが、先日友人のM7のシャッター音と比較する機会があり、M7から高音域を無くしてショックも少なくした印象。M10-PのシャッターはM7とは違った異次元のシャッター音だった。その友人もかなりのショックを受け、すぐにでも手に入れたい様子だった。やはりM10-Pのシャッター音はデジタル時代のM3とも言える革新的なシャッターだ。ライカは歴代M型ライカ史上一番静かなシャッター音と謳っているが謳い文句通りだ。

描写はすでにM10で評価を得ているのでここであえて書くことはない。自分としてはこれ以上の画質の必要性は感じない。フルサイズのM9からM-P、そしてM10-Pへの進化で高感度撮影がストレスフリーになり、かつ画質も文句はない。加えて黒ずくめで赤バッジ無しの控えめなボディデザインと静かなシャッター。前面にはロゴやモデル名など無い。一般的な国産メーカーがこれ見よがしに自社のロゴやモデル名を配することとは正反対のデザイン。どんな場面でもその場の空気感を邪魔しない品の良い存在感を放っている。

道具として「実用品」などという言葉を超越し、他メーカーでは語られない視点で愛され続ける。ライカが存在することで多くの人々が様々な幸福感を味わうことが出来る。つくづく不思議なブランドだ。思えばライカ初のデジタルレンジファインダーM8誕生から12年、M型デジタルライカもようやく完成の域に達したと言えるかもしれない。

LEICA M10-P / SUMMILUX-M 35mm f1.4

LEICA M10-P / SUMMILUX-M 35mm f1.4

平成最後の終戦記念日

今日8月15日は73回目で平成最後の終戦記念日。自分の記憶の中での終戦記念日は73年前という感覚ではなく終戦後20年という感覚が強く残っている。1956年生まれの自分には1945年の終戦は物心ついた10~12歳頃に初めて意識した戦後20年という言葉が強く残っている。戦後73年という事実はにわかに信じ難い。

自分が終戦を意識した頃は戦後の光景がまだ残っていた。省線(今のJRの前身の前身)と呼んでいた電車内には片足や片腕の白装束の傷痍軍人と呼ばれる人たちが少なくなかった。幼稚園から小学校の頃は船橋で育った。その頃の船橋にはまだ雑木林が残っていてそこは自分たちのいつもの遊び場だった。そこには塹壕の後が多数あって塹壕内には兵隊の鉄兜や飯ごうなどの戦争の残骸が残っていてそこで戦争があったことを確かに実感した。

今はもうそんな光景も無くなり、現代の人々は戦争の事実は書物やテレビの特別番組、映画の世界でしか知ることは無い。自分は戦争体験者ではないが母親や親戚の体験談、そして幼い頃の記憶で準体験者の感覚だ。それは悲しく、過酷なものだったのだろうと肌で感じた。甲子園では毎年この日の正午には全員で黙祷を捧げる。だがそれも自分には形だけの虚しい光景に写る。

なぜならば、今の日本の様々な状況を見るにつけ、この国が同じ過ちを繰り返さないという確信はない。また、国の違いを問わず、人類は過去から正しく学べない性。繰り返す悲惨な歴史は悲しい現実を証明している。無責任だが自分には解決策が見当たらない。愚かな戦争で尊い生命を捧げた多くの先人たちを忘れずに生きることしか思い浮かばない。

ただし、ひとつだけぜひ望みたいこと。宗教や国の思惑などを超えて先の大戦で亡くなった全ての方々を哀悼する場を造ること。沖縄には平和の礎(いしじ)という場所がある。ここは沖縄戦で亡くなった人々を国や人種を超えて哀悼する場だ。建設時に少しだけ関わった経験があったのでぜひこの平和の礎のコンセプトに習った国立施設を造るべきだと強く思う。

LEICA M9-P / Hektor 73mm f1.9

LEICA M9-P / Hektor 73mm f1.9

RX100M6のこと

前のエントリーで久しぶりに続けてライカのことを熱く語りすぎて自分でもいささか引き気味だが、このブログではその時々の思いも迷わず残そうと考えていたのでまあ良しとしよう。あくまで個人の記録として残しているページ。老化防止の為にも書くこと=論理思考を後退させない為だ。

ところで、そのライカの機材を撮影したRX100M6のことだが・・・超コンパクトなスタイルでここまで写るか?!と思うほど良く写る。しかも使い勝手は今まで使ってきたこの手のコンパクトカメラに比べて群を抜いて完成度が高く、自分の印象としては今後、余程のカメラが出てこない限りこのRX100M6を超えるカメラは生まれないだろうと思えるほどのカメラだ。

SONYのRX100シリーズは今までM4とM5を使用してきたが実に使い勝手が良く、ロケハンや出張のお供、家族の記録写真、ちょっとした小物撮影などフットワークも軽く、かなり重宝している。今回のM6で新たに24-200mm f2.8-4.5の高倍率ズーム、ワンプッシュでスタンバイOKのポップアップEVF、タッチパネル液晶などが加わり、完成の域に達した感がある。SONYはコンパクトなボディによくここまでの機能を詰め込めるものだ。このサイズでテレ200mm+ファインダーを覗くスタイルでごく自然に撮影できる。フィルム一眼レフ世代としては隔世の感だ。

昔からカメラ自体の細かいスペックはさほど気にしない方だがとにかく使っていて心地よく、こちらの思うように操作が出来て、画質が良ければそれだけで文句は無いのだが、動画も含めて仕事メインのα7シリーズのサブになり、プライベートではライカとはフィールドが違う写真が撮れる。今のところこれ以上のコンパクトカメラは存在しない。

このカットは新幹線小倉駅で出張の折、待つホームで咄嗟に撮ったカット。周りの人たちには両手で隠れてしまうほどの小さなカメラを覗き込んで何をしている?というように見えているはずである。200mm・ポップアップEVF・連続撮影でAFも見事に食い付いている。いやはやである。

RX100M6

RX100M6

ライカ仙人 モダンレンズ編

自分の感覚としてライカレンズと言えば数年前まではライカオールドレンズと同義語だった。かなり長い間、現代のレンズには全く興味が持てなかった。我々の世代ではライカと言えばフィルム時代のM型ライカを意味する。同時に歴代のM型ライカのそれぞれの世代に生まれたレンズたちが膨大にある。それらはM型ライカを愛し、傑作を残した写真家たちと共に多くの伝説を作ってきた。

フィルム時代からのライカ愛好家は長い歴史の中の様々な伝説に憧れてその作品を撮ったクセのあるレンズたちを手にしたいと強く思うようになる。それに比べ、最新のレンズは写りはとても秀逸だがクセが無く、味も無い。伝説と呼べるものもまだ無い。ゆえに自分も最新のモダンレンズたちには食指が動かなかった。

だが、デジタル時代に生きるライカ愛好家として今のライカの存続も含めて現代の最新のライカレンズを使わずに愛好家と言えるのか?最新のモダンレンズを使って微力ながらライカを応援しようと考えを改めた。ちょうど3年前、タイミング良くこのSummilux 50mm f1.4 ASPH.とSummicron 35mm f2.0 ASPH.が限定のブラッククロームで発売された。50mmは初代Summiluxのデザインの復刻と謳っているが中身は現代のレンズ。35mmも当時は最新のASPH.レンズ。

この2本の写りは改めて語る必要がないほど秀逸で被写体と光の状況によっては唸る時がある。この2本にプラスして3本目としてSuper-Elmar 21mm f3.4 ASPH.を加えた。理由は21mmが昔から好きだったことと銘玉Super-Anglon 21mm f3.4へのオマージュだ。これも現代の21mmらしく文句のつけようが無い写りをする。ボディは専らM-P(Type240)だ。現代のレンズにはM-Pが合っている。もし、M10-Pが出ればこれに代わる可能性はあるが・・・

オールドレンズとモダンレンズ。合わせて6本で自ら仙人と呼ぶのは一般人には通じないだろうがレンズ沼に落ちた住人ならばご理解頂けると思う。世に数多あるライカレンズの中でたった?6本で満足できるということはライカの世界ではまさに仙人かと。まあ年寄りの戯言だが自らの戒めの意味もある。それほどライカの沼は自分を見失う。ここ数年はこの6本で十分満足していることは我ながら信じ難いことだ。

RX100M6

RX100M6