PORTRAIT OF JAPANESE LIGHTHOUSE 1992-1998

新型コロナ禍のステイホームを有効利用して念願だった灯台アーカイブのデジタルデータ化のスキャンニングがようやく完了した。4月の末からスキャンを始めて約一か月、ポジフィルムとの格闘が終わった。スキャンはニコンのフィルムデジタイザーES-2を使った。

レンズは新たにAF-S Micro NIKKOR 60mm f2.8G EDを購入。ボディはα7R3なのでソニーEとニコン用マウントアダプターを入手した。使用感だが35mmフィルムの場合はもうフラットベッドのスキャナーの時代ではないと感じた。なんと言っても4200万画素!で手軽に取り込めることは凄いの一言。

スライドマウント用とスリーブ用のホルダーが付属しているがスライドマウント用の差込口がゲペのマウントが厚みがあり過ぎてすんなり入らず少々手こずったが力技でなんとかスキャンできるようになった。スキャンデータはRAWで取り込み、Capture Oneで現像、Photoshopで仕上げた。

当時のフイルムは全てフジのRVP(ベルビア)だったが彩度の高さには改めて驚いた。当時はこんな色で撮っていたのかと少し手を加えようか迷ったが変に色合いを変えてしまうと当時の空気感が損なわれるのでそのまま忠実に再現することにした。

効率よくスキャンが終わったので続いてウェブサイトまで作ることにした。自分の本サイトはSquarespaceというアメリカの有料ウェブサービスを利用している。全て英語なのでハードルは高いがデザイン性は日本のサービスより優れていると感じる。今回もSquarespaceを利用した。

今回の灯台のサイトは過去の作品のアーカイブになるがポジフィルムのまま放置していてもしも自分が居なくなったらという思いが常に頭にあり、アマチュア時代の拙い作品だが7年間の情熱の記録をお蔵入りさせるのはあまりにも惜しい気持ちでまとめてみた。ご興味のある方はご笑覧あれ。

PORTRAIT OF JAPANESE LIGHTHOUSE 1992-1998

デビュー作

1999年秋、自分がまだ会社員だった頃、勤務中に会社の代表部門から一本の電話が回ってきた。「深作組」と名乗る方からの電話とのこと。自分の居た会社は制作部門の協力会社に似たような社名のプロダクションも少なくなかったので何かの制作会社かな?と思い電話に出た。

電話に出ると「深作組の助監督の〇〇ですが板村様ですか?今回板村様の撮影された野島埼灯台の写真を深作監督の次回作で使用したいと考えていますが宜しいでしょうか?」と。あまりにも唐突でいきなりのことだったのでどう反応してよいか分からず、すぐには返事が出来ずいると「具体的な事はまだ未定ですが板村様の写真を監督がいたく気に入り、ぜひ使用させて頂きたいということです」

仕事中にも関わらず思わず声をあげてしまった。その後、改めて尋ねてみるとその1年前にオープンした野島埼灯台の資料室にたまたま自分の撮った写真がディスプレイされていてそれを関係者が見てそれが深作監督の目に留まったらしい。まだプロになる前のアマチュアゆえそんな依頼は生まれて初めてのことだったので何も考られずにぜひ使って欲しい旨を伝えた。

数日後、その助監督が作品の台本らしきものを携えて訪れ、その作品があの「バトル・ロワイヤル」だったことを知った。その時はどんな内容になるかなど分かるはずもなく、ただ、自分の写真をどんな場面で使われるのか確認したところ、可能性としてもしかしたら写真自体に加工させて頂き、一部動かすかもしれない。と。ん?動かす?写真を動かす?当時はCGなどまだ一般的ではなかったので想像すら出来ず、曖昧なまま承諾したことを記憶している。

作品は翌年に公開され、社会的にはかなりのインパクトのある作品となり、国会議員を巻き込んでの問題作となった。自分はと言えば頂いたチケットで早速鑑賞に行き、映画館の大スクリーンに映し出されて何やら動いている自分の写真を観て驚いたことを記憶している。社会的な問題作がデビュー作となったことは複雑だったがエンドロールに自分の名前を発見したときは正直嬉しい気持ちだった。

灯台の作品は会社員の傍ら1992年から1998年頃にかけて全国を撮り歩いたもので全てリバーサルフィルムでアーカイブされている。その辺りのことは以前書いた。現在は積年の課題だったデジタル化の為のスキャンを行っている最中だが、奇しくも今週末「バトル・ロワイヤル」がWOWOWで放映される。WOWOWを視聴できる方が居れば一瞬だがこの写真が動くシーンとエンドロールに注目して頂けたらありがたい。笑

CANON EOS-1 / EF 80-200mm F2.8L / RVP

CANON EOS-1 / EF 80-200mm F2.8L / RVP

コロナ禍に思うこと

今回のコロナ禍でこの国のエリートと呼ばれていた指導者たちとその取り巻きたちが全く機能していないこと、国会議員と官僚が今の危機に対して準備はおろか目の前で起こっている現実に対しても効果的なアクションを何も起こせないことが暴露されてしまった。後手後手の施策も効果を上げているとは思えず、あげく自治体自らが行動を起こし始めている。

象徴的に感じることは安倍首相の言葉。自ら行ったことも行う気もない「テレワーク」「オンライン帰省」「オンライン飲み会」などなど官僚が書いた文面をただ読み上げるだけの姿がもう喜劇にしか見えない。SNS上で炎上したことも何をどのタイミングでどう発信すべきかが分かっていないからだ。SNSを価値あるメディアとして有効に使いこなしている優れた自治体のリーダーたちや経営者たちの即断即決行動に比べて一国のトップの体たらく。言葉がない。

そんな中、優れた女性リーダーたちの活躍が目立つ。ドイツのメルケル首相、ニュージーランドのアーダーン首相、台湾の蔡英文総統。そして小池百合子東京都知事。どの方も即断即決で自らの言葉と行動で結果を出し、国民からも大きな支持を受けている。やはり女性ならではの生活に根差した考えと素早い決断は説得力があり、今回のような危機の中では想像力が欠如した安倍首相やその取り巻きたちよりもその政治力は遥かに優れている。

そして科学的な根拠は皆無だが以前から危惧していたこと。今回のコロナ禍は地球が怒っているとしか思えない。コロナ禍以前の世界の指導者たちやその支持者たちは自己や自国の利益のみを優先し、あちこちで起こっていた自然界が発していた警鐘には見て見ぬふりをして耳を貸さず、ただただ効率や利益しか追及して来なかった。そのことへの怒りが地球から発せられているとしか思えない。このコロナ禍が運よく終息した暁には世の中が洗浄されて少しはまともな世界に変わっていることを願うばかりだ。

LEICA M10-P / SUMMILUX-M 50mm f1.4 ASPH.

LEICA M10-P / SUMMILUX-M 50mm f1.4 ASPH.

ズマロンの粋 つづき

一昨日、ズマロンの粋などと書いてほとんどズマロンとは違う内容になっていた。書くことは嫌いではないので手が進むうちにどんどん本題から逸れてしまうことが多々ある。しかも長くなる。悪い癖だが治りそうもないので諦めている。以前も書いたが誰かの為ではなく自分自身の備忘録・日々の記録的な面もあるのであっちこっち飛んでも良しとしている。

なので改めてズマロンについて。

自分のファーストズマロンは初めてのM型ライカのM3を手にした時、初の35mmで眼鏡付きのズマロンだった。とりあえず買える範囲のレンズが眼鏡付きのズマロン35mmf3.5だったのだが、初めてのライカレンズで35mmの味など分かるはずもなく、描写の記憶はほとんどない。ただ、諧調の豊かさが売りのレンズの片鱗はあったように記憶している。

二本目のズマロンはR-D1の頃、同じく35mmのズマロンだがLマウントのズマロン。軽量・コンパクトで財布にやさしいレンズだった。R-D1では焦点距離が約1.5倍になるのでほぼ50mmの標準レンズになってしまい、なかなかに悩ましかったがR-D1の描写と相まって諧調豊かで柔らかく、線が繊細で色乗りも好ましかった。

三本目のズマロンはMマウントの35mmのズマロン。こちらはf2.8でf3.5の眼鏡付きとは違うデザインで人気の8枚玉に似ていてむしろそちらの理由で購入したといった方が正しい。不純な理由だったがM8との相性は良かった。CCDのフィルタに欠陥を持つ?M8独特のモノクロはズマロンの特性と相まってさらに諧調が豊かで悪く言えば眠くてとぼけた写りだった。こちらも焦点距離が約1.3倍で素の描写とは違っていたかもしれない。

M9になってようやくフルサイズでのレンズ描写になったとたん、暗めのズマロンには目が行かなくなり、専ら明るいズミクロンやズミルックス、ノクチルックス、ヘクトール、タンバールと沼の底を彷徨うことに。ただズマロンでの心残りはLマウントの28mmf5.6だった。人気があって希少で高価な上、良い玉に巡り合える確率が低かった為になかなか手に出来なかった。

そんなことで復刻版のMマウントのズマロン28mmf5.6が出たときは心が躍った。発売直後はいつものライカで買いにくい状況が続いたが、昨年限定版のマットブラック・レッドスケールのズマロン28mmが発売されたときは迷うことなく飛びついた。その後は大のお気に入りになり、M10-Pの装着率ナンバーワンとなっている。

ズマロン遍歴を披歴するつもりはなかったがこうして振り返ってみるとフィルム時代のM3、デジタルのR-D1、M8、M9、M10-Pとその都度ズマロンを使用してきた理由は共通している。コンパクトで軽量、開放絞り値に縛られず、ただただ、構図と光のタイミングの出会いを求め、柔らかく、優しい、繊細な線が紡ぐ写りに魅せられていたからだ。

ライカレンズには哲学が潜んでいる。人それぞれの哲学にフィットしたレンズに出会えればこれ以上ない至福の時間が待っている。ズマロンは自分にとっては至福の時間を与えてくれるかけがえのない存在だ。ズマロンという呼び名とその響きも素敵だ。高性能でドヤ顔揃いのライカレンズ群の中で小さく脇役的なズマロンこそ粋な存在に感じる。

LEICA M10-P / SUMMARON-M 28mm f5.6

LEICA M10-P / SUMMARON-M 28mm f5.6